藤戸逸郎
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府 |
生年月日 | 1920年 |
没年月日 | 没年不明 |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手、三塁手、遊撃手 |
プロ入り | 1940年 |
初出場 | 1940年3月15日[1] |
最終出場 | 1940年12月8日[2] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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藤戸 逸郎(ふじと いつろう、1920年 - 没年不明)は、大阪府出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手、三塁手、遊撃手。
来歴・人物
[編集]日新商業(現・東大阪市立日新高等学校)在学中には、1938年春の甲子園に出場した(初戦〔2回戦〕で海草中に3-6で敗れた)。日新商業卒業後は、立命館大学に進学した。
1940年3月15日、立命大を中退[3]して、南海軍に入団。開幕戦(イーグルス戦〔甲子園球場〕)で「9番・遊撃手」として先発出場した[1]。小技を活かした打撃が得意で、特に犠打が多く、この年プロ野球記録となる17犠打をマークした[4]。しかし、守備に難があり、戦前の劣悪な野球用具が原因だとは言え、93試合で49失策を喫した。1940年限りで南海を退団した。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1940 | 南海 | 93 | 354 | 307 | 19 | 52 | 3 | 0 | 0 | 55 | 7 | 5 | -- | 17 | 0 | 27 | -- | 3 | 30 | -- | .169 | .243 | .179 | .422 |
通算:1年 | 93 | 354 | 307 | 19 | 52 | 3 | 0 | 0 | 55 | 7 | 5 | -- | 17 | 0 | 27 | -- | 3 | 30 | -- | .169 | .243 | .179 | .422 |
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
[編集]- 29 (1940年)