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藤戸逸郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤戸 逸郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府
生年月日 1920年
没年月日 没年不明
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手三塁手遊撃手
プロ入り 1940年
初出場 1940年3月15日[1]
最終出場 1940年12月8日[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

藤戸 逸郎(ふじと いつろう、1920年 - 没年不明)は、大阪府出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手三塁手遊撃手

来歴・人物

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日新商業(現・東大阪市立日新高等学校)在学中には、1938年春の甲子園に出場した(初戦〔2回戦〕で海草中に3-6で敗れた)。日新商業卒業後は、立命館大学に進学した。

1940年3月15日、立命大を中退[3]して、南海軍に入団。開幕戦(イーグルス戦〔甲子園球場〕)で「9番・遊撃手」として先発出場した[1]。小技を活かした打撃が得意で、特に犠打が多く、この年プロ野球記録となる17犠打をマークした[4]。しかし、守備に難があり、戦前の劣悪な野球用具が原因だとは言え、93試合で49失策を喫した。1940年限りで南海を退団した。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1940 南海 93 354 307 19 52 3 0 0 55 7 5 -- 17 0 27 -- 3 30 -- .169 .243 .179 .422
通算:1年 93 354 307 19 52 3 0 0 55 7 5 -- 17 0 27 -- 3 30 -- .169 .243 .179 .422
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

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  • 29 (1940年)

脚注

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外部リンク

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関連項目

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