藤平謹一郎
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藤平 謹一郎(とうへい きんいちろう[1]、1863年1月4日(文久2年11月15日)[2] - 1929年(昭和4年)10月28日)[1])は、日本の政治家(栃木県会議員)[1]、実業家。下野新聞社長[1][3]。族籍は栃木県平民[2][4]。
人物
[編集]下野国芳賀郡市羽村(現・栃木県市貝町)出身[1]。藤平縫之丞の長男[2][3][4][5]。1879年、家督を相続する[2]。銀行会社の重役として知られる[2]。
下野新聞[3]、宇都宮瓦斯各社長、下野倉庫、下野起業、宇都宮起業、下野新聞、下野印刷各取締役、栃木県農工銀行、下野銀行、西沢金山各監査役などをつとめる[5]。住所は栃木県芳賀郡市羽村[2][4][5]。
家族・親族
[編集]- 藤平家
- 父・縫之丞(栃木平民)[2][4]
- 妻・タメ(1874年 - ?、栃木、伊佐野利市の長女)[2][4]
- 二男・眞(1891年 - ?)[2][4]
- 三男・武(1903年 - ?)[4]
- 長女[4]
- 二女[4]
- 四女[4]
- 六女[4]
- 孫[4]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e 藤平 謹一郎とはコトバンク。2020年8月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第5版』ふ30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月26日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第8版』フ77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第6版』ふ27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月26日閲覧。
- ^ a b c 『新興日本名士録 帝都復興之現勢』第十六章 ふの之部17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月9日閲覧。