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藤見嶽虎之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤島甚助から転送)
藤見嶽 虎之助
基礎情報
四股名 藤見嶽 虎之助
本名 神田 久助
愛称 不明
生年月日 1878年6月18日
没年月日 1923年7月15日(45歳没)
出身 福島県二本松市
身長 165cm
体重 71kg
BMI 26.08
所属部屋 藤島部屋尾車部屋
得意技 不明
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭3枚目
生涯戦歴 61勝72敗28休21分9預/163出(20場所)
幕内戦歴 29勝54敗28休15分4預/102出(13場所)
優勝 0
0
データ
初土俵 明治28年6月
入幕 明治37年1月
引退 明治43年6月
引退後 不明
他の活動 不明
趣味 不明
備考

藤見嶽 虎之助(ふじみだけ とらのすけ、1878年6月18日 - 1923年7月15日)は、現在の福島県二本松市出身で藤島部屋尾車部屋に所属した元大相撲力士。本名は神田 久助。7代藤島。165cm、71kg。最高位は西前頭3枚目。

経歴

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魚店に奉公するも相撲好きで年寄藤島甚助に勧誘され[1]、1895年入門。1895年5月序ノ口、藤島部屋は稽古場がなく、出稽古として尾車部屋に通い当時幕下だったのちの大関・荒岩の指導を受け、1901年1月十両昇進。1904年1月入幕を果たす。1901年5月、1904年1月に太刀山峯右エ門と、1905年5月に大砲万右エ門と引き分けている。藤見嶽の取り口を大関朝汐は「力士の中でも藤見嶽くらい相撲上手な者はいない。相撲具合の良いこと、出足といい逃足といい、おまけに柔らか身などは言い様がないほど巧い。」と称賛していた[1]。すでに二枚鑑札であったが、1910年6月に引退し親方業に専念した。1923年、風邪から胸を冒され45歳で死去。

成績

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  • 幕内13場所29勝54敗28休19分預

場所別成績

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藤見嶽 虎之助
春場所 夏場所
1895年
(明治28年)
x x
1896年
(明治29年)
西序二段24枚目
 
序二段
 
1897年
(明治30年)
西序二段7枚目
 
西三段目
 
1898年
(明治31年)
x 西三段目
 
1899年
(明治32年)
東幕下
 
東幕下11枚目
 
1900年
(明治33年)
東幕下10枚目
 
東幕下3枚目
 
1901年
(明治34年)
西十両8枚目
4–1
1引分
 
西十両筆頭
4–2
1引分1預
 
1902年
(明治35年)
x x
1903年
(明治36年)
x x
1904年
(明治37年)
x x
1905年
(明治38年)
x x
1906年
(明治39年)
x x
1907年
(明治40年)
x x
1908年
(明治41年)
x x
1909年
(明治42年)
x x
1910年
(明治43年)
x 西前頭16枚目
引退
1–4–5
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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藤見嶽→藤嶌 [2] [3]

出典

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  1. ^ a b 明治後期の小兵人気力士 藤見嶽虎之助(ふじみだけ とらのすけ) | 二本松市公式ウェブサイト”. www.city.nihonmatsu.lg.jp. 2020年5月6日閲覧。
  2. ^ http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3570&l=j
  3. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709