藤原麻起子
引退 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 |
岩手県東磐井郡千厩町 (現:一関市千厩町) |
生年月日 | 1983年11月6日(41歳) |
身長・体重 | 165cm |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
選手経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
世選/W杯 | 2010 |
アジア大会 | 2010 |
藤原 麻起子(ふじわら まきこ、1983年11月6日[1] - )は、岩手県東磐井郡千厩町出身の女子ソフトボール選手(投手)[1][2]。引退後は吉田麻起子に姓を改めた[3]。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]1983年11月6日、岩手県東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)に生まれる[1][2]。千厩町立千厩小学校(現:一関市立)に入学後、幼少期より姉のソフトボールの試合を観戦していたことを機に4年生からソフトボールクラブに入団した。練習の際は姉のプレーを意識していたという[4]。
千厩町立千厩中学校(現:一関市立)に進学後はソフトボール部に所属し、1998年の全国中学校ソフトボール大会では優勝を果たした[4]。
中学卒業後、埼玉県川越市の星野女子高等学校(現:星野高等学校女子部)に進学した[4]。
実業団選手として
[編集]高校卒業後、当時日本リーグ1部に所属していた東邦銀行女子ソフトボール部に入団。しかし1年目でチームが廃部になり退団した。
2003年に東北福祉大学へ入学。2005年の全日本大学ソフトボール選手権大会では優勝、2006年の世界大学ソフトボール選手権大会では3位に入賞した[4]。
大学卒業後、2007年に日立ソフトウェア(現:日立サンディーバ)へ入団。2009年には日本リーグの最多勝利投手賞を獲得した[1]。2010年には第12回世界女子ソフトボール選手権へ出場し、銀メダルを獲得した[3]。
2011年のシーズンをもって日立ソフトウェアを退団し、実業団選手生活に幕を閉じた[1]。
引退後
[編集]2012年度より地元の岩手県立千厩高等学校に教員として着任。同校女子ソフトボール部の顧問として指導に当たっていたが[2]、のちに他校へ異動となった[5]。
人物・エピソード
[編集]2010年8月9日、地元である一関市より、輝かしい功績を収めた人物に贈られる市民栄誉賞の第1号として受賞した[4][6]。
詳細情報
[編集]日本リーグ個人表彰
[編集]- 2009年 - 最多勝利投手賞(15勝7敗)[1]
背番号
[編集]- 14(2007 - 2011)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 同年廃部。
出典
[編集]- ^ a b c d e f “過去の選手とスタッフ - 投手 藤原 麻起子(ふじわら まきこ)”. Hitachi, Ltd. 2022年11月15日閲覧。
- ^ a b c “【特集】一関の誇り ソフトボール王国の挑戦 5”. 一関市ホームページ. 一関市 (2012年8月27日). 2022年11月15日閲覧。
- ^ a b 「技術向上へ基礎から オリンピアンが指導 トヨタソフトボール教室【一関】」『岩手日日』2023年8月18日。オリジナルの2023年8月24日時点におけるアーカイブ。2023年12月6日閲覧。
- ^ a b c d e “藤原麻起子さん(千厩出身)に市民栄誉賞”. 一関市ホームページ. 一関市. 2022年11月15日閲覧。
- ^ 「「自分らしさ」尊重 水沢農高が服装自由化 胆江地区の全日制で初」『胆江日日新聞』2023年4月14日。2023年5月17日閲覧。
- ^ 「藤原投手に市民栄誉賞 一関市で初」『岩手日日』2010年8月3日。
- ^ 藤原麻起子 JSL