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藤原諟子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 諟子(ふじわら の ただこ/まさこ/しし、生年不詳 - 長元8年6月21日1035年7月28日[1])は、平安時代の女性。花山天皇女御

略歴

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藤原頼忠の娘で母は厳子女王。天元3年(980年)2月25日の夜、著裳の儀式が行われる[2]永観2年(984年)より承香殿に入り、藤原姚子と同時に花山天皇の女御となった[3]。特別寵愛を受けたわけではないが、終始帝から目をかけられていたと言う[3]後拾遺和歌集以下の勅撰集に3首の歌が残されている[1]

参考文献

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  • 『譯文大日本史弐』(国民文庫刊行会 、1914年、568p)

脚注

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  1. ^ a b 藤原諟子』 - コトバンク
  2. ^ 『日本紀略』なお、同日の昼に清涼殿にて兄藤原公任(15歳)の元服が行われている。
  3. ^ a b 国民文庫刊行会 1914, p. 568.