藤原義雅
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藤原 義雅(ふじわら の よしまさ、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。藤原南家、春宮少進・藤原貞雅の子。官位は従五位下・周防守。
経歴
[編集]円融朝にて右近衛将監・冷泉院判官代を務める。天元4年(981年)12月末に周防守に任ぜられるが、そのため天元5年(982年)2月になって、この年をもって初年度として取り扱うよう申請を行っている[1]。のち、時期は不詳ながら、因幡守も務めている。
約20年後となる一条朝でも周防守に再任される。任期満了後の長保4年(1002年)何らかの問題によって義雅に対する不与解由状が提出されるが、その不与解由状に添えられた文書における周防介・日置有光の自署の誤記が参議・藤原行成によって指摘されている[2][3]。
官歴
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 宮崎康充編『国司補任 第三 第四』続群書類従完成会、1990年
- 『山口県史: 史料編. 古代 - 第 1 巻』山口県、2001年