藤原相尹
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藤原 相尹(ふじわら の すけまさ、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。名は助正とも記される。藤原北家九条流、大蔵卿・藤原遠量の子。官位は正四位下・左馬頭。
経歴
[編集]一条朝の初頭に右近衛少将に任ぜられると、永延3年(989年)左近衛少将を経て、正暦3年(992年)左馬頭に遷る。中関白家に近く、正暦4年(993年)五節に際して、中宮・藤原定子方の舞姫に娘(のちの馬中将)を差し出している[1][2]。
長徳2年(996年)長徳の変が発生して中関白家の藤原伊周・隆家兄弟が失脚すると、相尹も連座して勅勘を被った[3]。
まもなく許され、約20年の長きに亘って左馬頭を務めた。この間の寛弘元年(1004年)の賀茂臨時祭では祭使を務めている[4]。
官歴
[編集]- 寛和3年(987年) 3月26日:見右近衛少将[5]
- 永延3年(989年) 3月21日:見五位[5]。7月13日:左近衛少将[5]
- 正暦3年(992年) 8月28日:左馬頭[6]
- 正暦4年(993年) 正月9日:昇殿[5]
- 長徳2年(996年) 4月24日:削殿上簡(長徳の変)[5]
- 寛弘8年(1011年) 7月8日:見四位[7]
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福家俊幸「紫式部とむまの中将 -反目の叙述に隠されているもの-」『中古文学 43』中古文学会、1989年
- 『枕草子評釋上卷』明治書院、1921年、466p
- 『史料纂集古記録編106 権記3 第1 巻』八木書店、1996年、35p
- 市川久編『近衛府補任 第一』続群書類従完成会、1992年