藤原盛兼
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時代 | 鎌倉時代前期 |
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生誕 | 建久2年(1191年) |
死没 | 寛元3年1月5日(1245年2月3日) |
官位 | 正二位・権中納言 |
主君 | 土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇 |
氏族 | 藤原氏 |
父母 | 父:藤原盛能、母:藤原季佐 |
妻 | 滋野井実宣娘 |
藤原 盛兼(ふじわら の もりかね)は、鎌倉時代前期の公卿。藤原盛能の子。母は藤原季佐の娘。官位は正二位・権中納言。
経歴
[編集]- 建久9年(1198年):従五位下。
- 建保6年(1218年):左少将。
- 建保7年(1219年):信濃介。
- 貞応元年(1222年):左中将。
- 元仁元年(1224年):蔵人頭。
- 嘉禄元年(1225年):参議。従三位。この頃播磨守。
- 嘉禄2年(1226年):宣陽門院の院司となる。
- 嘉禄3年(1227年):権中納言、中宮権大夫を兼ねる。
- 安貞元年(1227年):宣陽門院の六条御所を造進した。
- 天福元年(1233年):盛兼の殺害計画が露見する。
- 嘉禎3年(1237年):正二位。
- 寛元2年(1244年):出家。
系譜
[編集]- 父:藤原盛能
- 母:藤原季佐娘
- 妻:滋野井実宣娘
参考文献
[編集]- 安田元久『鎌倉・室町人名事典』(新人物往来社、1990年)