コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

藤原正雅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 正雅(ふじわら の ただまさ、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族藤原南家巨勢麻呂流藤原興方の次男。官位従四位下紀伊守

経歴

[編集]

円融朝前半の天延元年(973年)ごろ蔵人大蔵大丞を務める。

のち、紀伊守因幡守伊予守と受領を歴任したほか、皇后宮大進を務めた。位階従四位下に至る。花山朝寛和元年(985年実資の女児の三日の祝に際して、正雅は産婦の膳を提供するが、紀伊守として任国に赴任中であったため、実際には子息の師言が衝重十二枚・折敷等を準備している。

官歴

[編集]

系譜

[編集]

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原興方
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原師長
    • 男子:藤原師範
    • 男子:藤原師言
    • 女子:藤原高子のち灑子(中務典侍) - 藤原妍子の乳母[4]

参考文献

[編集]
  • 服藤早苗『平安朝の父と子: 貴族と庶民の家と養育』(中央公論新社 、2010年)32p
  • 紫式部学会編『源氏物語とその周辺の文学研究と資料』(武蔵野書院 、1986年)3p
  • 塚原鉄雄角田文衛 : 『中務典侍』」(『人文研究』16巻3号、大阪市立大学文学会、1965年)
  • 市川久編『蔵人補任』(続群書類従完成会、1989年)
  • 宮崎康充編『国司補任 第四』(続群書類従完成会、1990年)

脚注

[編集]
  1. ^ 『親信卿記』
  2. ^ 『小右記』
  3. ^ 『尊卑分脈』
  4. ^ 塚原[1965: 40]

外部リンク

[編集]