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藤原東子 (藤原南家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 東子(ふじわら の とうし(ひがしこ/あずまこ)、生年不詳 - 816年弘仁7年)4月28日?)は、奈良時代貴族女官藤原仲麻呂の娘。

略歴

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天平宝字5年(761年)1月2日、妹の額とともに叙位され、無位から従五位上となる[1]

天平宝字8年(764年)9月の藤原仲麻呂の乱において、父・仲麻呂は刑死し、兄弟も戦死・死罪または流罪とされた。仲麻呂の娘たちには処罰の記録はなく、この後も宮廷に出仕していたかどうかは不明である。

『日本紀略』には、弘仁7年(816年)4月28日、藤原朝臣東子が散事従四位下で卒したことが記されるが[2]、同時代に同名の女性(藤原種継の娘)がいるため同一人かどうかは不詳。

水鏡における伝承

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水鏡』によると、仲麻呂の娘の一人は美女として有名であったが、鑑真に「このお方は千人の男と姦淫に及ぶことになるだろう」と予言された。藤原仲麻呂の乱において父が敗死したとき、敵方の軍勢の男すべてがこの仲麻呂の娘を凌辱し、その人数は千人に及んで鑑真の予言は的中したという。

200年以上後世に書かれた『水鏡』のみに記載されているため、事実かどうかは疑問視されている。

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』天平宝字五年正月戊子条「…無位藤原恵美朝臣東子従五位上。無位藤原恵美朝臣額。橘宿禰真都我並従五位下。…」
  2. ^ 『日本紀略』弘仁七年四月癸亥条「散事従四位下藤原朝臣東子卒。」