藤原村雄
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 承平2年7月15日(932年8月20日) |
官位 | 下野大掾、従四位上、河内守、下野守、長門守 |
氏族 | 称藤原北家魚名流 |
父母 | 父:藤原豊沢、母:鳥取豊俊の娘 |
妻 | 鹿島直行の娘 |
子 | 秀郷、宗郷、高郷、永郷、興郷、友郷、時郷、春郷、平国香室 |
藤原 村雄(ふじわら の むらお)は、平安時代前期から中期の貴族。藤原北家、藤原豊沢の子。藤原秀郷の父。官位は従四位下・河内守・下野守。
経歴
[編集]父である豊沢から職務を受け継ぎ下野大掾に任ぜられ、その流れは子孫の太田氏や小山氏に至るまで続いた[1]。
仁和3年(887年)従五位下、延喜11年(911年)従四位下へと昇進。
人物
[編集]母は下級役人である史生の鳥取氏。村雄は、自らと同じ国司の掾である鹿島氏から妻を迎えている。下野国司として多くの地方豪族や農民を配下に収め、広大な土地を開墾し、父の代より高い権力を保持していたと考えられている[2]。
官歴
[編集]『田原族譜』、『下野国誌』、『皆川氏系図[3]』による。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 『吾妻鏡』建長3年12月28日条
- ^ 藤原秀郷 : 源平と並ぶ名門武士団の成立 2018, p. 23.
- ^ 藤原秀郷 : 源平と並ぶ名門武士団の成立 2018, p. 20.
参考文献
[編集]- 山士家左伝 編『田原族譜』東明会、1883年9月。 NCID BA85281841 。
- 河野守弘 編『下野国誌. 巻之11』佐藤三一郎、1893年10月。 NCID BB19199224 。
- 野口実 編『伝説の将軍 藤原秀郷』吉川弘文館、2001年12月。ISBN 9784642077798。 NCID BA55299699。
- 栃木県立博物館 編『藤原秀郷 : 源平と並ぶ名門武士団の成立』栃木県立博物館、2018年10月。ISBN 9784887581005。 NCID BB2712375X。