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藤原文正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原文正
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位下加賀守
主君 村上天皇
氏族 藤原式家
父母 父:藤原忠紀、母:三河守宗季の娘
藤原祐之の娘
光輔
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藤原 文正(ふじわら の ふみまさ)は、平安時代中期の貴族能書家藤原式家下野守・藤原忠紀の子。官位従五位下加賀守

経歴

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天暦10年(956年)2月10日に蔵人に補任され、天徳2年(958年)正月に内記に任官。天徳3年(959年)に尾張守に任ぜられて地方官に転じた[1]。『尊卑分脈』によれば極位極官従五位下加賀守に至ったという。書画をよくし、『日本紀略』の天徳2年(958年)4月8日条において小野道風と共に能書家と称された。『扶桑名画伝』によれば大膳大夫紀時文の三男であるともいう。

系譜

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  • 父:藤原忠紀
  • 母:三河守宗季の娘
  • 妻:藤原祐之の娘
    • 男子:藤原光輔(?-?)

脚注

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  1. ^ 夜鶴庭訓抄』「文正」。

出典

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