藤原岡継
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時代 | 奈良時代後期 - 平安時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従五位上、備中守 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇 |
氏族 | 藤原南家豊成流 |
父母 | 父:藤原乙縄、母:不詳 |
兄弟 | 清岳、岡継 |
妻 | 不詳 |
子 | 当道 |
藤原 岡継(ふじわら の おかつぐ)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての貴族。藤原南家、参議・藤原乙縄の子。官位は従五位上・備中守。
経歴
[編集]延暦8年(789年)従五位下に叙爵し、翌延暦9年(790年)大判事に任ぜられる。延暦10年(791年)伯耆介として地方官に転じる。延暦18年(799年)図書頭に補せられて京官に復す。
その後、従五位上に昇進し、平城朝の大同3年(808年)には刑部大輔に任官している。また時期は不明ながら、備中守も務めた。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 延暦8年(789年) 正月6日:従五位下
- 延暦9年(790年) 3月26日:大判事
- 延暦10年(791年) 正月22日:伯耆介
- 延暦18年(799年) 2月20日:図書頭
- 時期不詳:従五位上
- 大同3年(808年) 7月15日:刑部大輔
- 時期不詳:備中守[1]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
脚注
[編集]- ^ 『尊卑分脈』