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藤原家子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 家子(ふじわら の いえこ/やかこ、生年不明 - 宝亀5年7月21日774年8月1日))は、奈良時代女官尚膳従三位(贈正三位)。名は家児とも表記される。

生涯

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聖武朝末年の天平21年(749年)4月、陸奥国産金の報告のための東大寺への行幸の日に無位から従五位下に叙されるのが、記録に登場する最初である。この時に藤原百能も同じく従五位下に昇叙している[1]

以後、孝謙朝淳仁朝称徳朝と順調に昇叙を続け、動乱の世を生き抜き、光仁朝宝亀2年(771年)正月、従三位が最高位となる[2]。この間、小長谷女王の薨去により、尚膳相当の正四位下に昇進している[3]。3年後の宝亀5年(774年)7月、尚膳で薨去。朝廷は使者を派遣し、物を賜って弔い、正三位を贈った[4]

官歴

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続日本紀』による

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』天平21年4月1日条
  2. ^ 『続日本紀』宝亀2年正月1日条
  3. ^ 『続日本紀』天平神護3年正月18日条
  4. ^ 『続日本紀』宝亀5年7月21日条

参考文献

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