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藤原実躬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原実躬
時代 鎌倉時代
生誕 建暦元年(1211年
死没 建長4年(1252年)以降[1]
官位 従三位非参議
主君 土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇
氏族 藤原北家閑院流
父母 父:藤原公雅、母:忠萬法印の娘
兄弟 実任実躬、実澄、実祐、女子[2]
公躬、公順
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藤原 実躬(ふじわら の さねみ)は、鎌倉時代の公卿。非参議従三位。父は正二位権大納言藤原公雅、母は忠萬法印の女。

経歴

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以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜

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  • 父:藤原公雅(1181-1243)
  • 母:忠萬法印の娘
  • 妻:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:公躬
    • 男子:公順

脚注

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  1. ^ 建長4年から『公卿補任』にその名が見えない。
  2. ^ 『尊卑分脈』中御門為方の項では為方の母は公雅の女とあり、為方の兄弟である為俊経守は為方の同母弟とある。
  3. ^ 明義門院当年御給

参考文献

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