藤原並藤
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 延暦11年(792年) |
死没 | 仁寿3年5月13日(853年6月22日) |
官位 | 正五位下、陰陽頭 |
主君 | 淳和天皇→仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 藤原京家 |
父母 | 父:藤原石雄、母:中臣国珍の娘 |
子 | 豊並 |
藤原 並藤(ふじわら の なみふじ)は、平安時代初期の貴族・陰陽家。藤原京家、参議・藤原浜成の曾孫。豊前介・藤原石雄の子。官位は正五位下・陰陽頭。
経歴
[編集]初め丹波権掾に任官し、天長2年(825年)陰陽助を経て、天長6年(829年)従五位下に叙爵。その後、天長7年(830年)筑後守、天長9年(832年)陰陽頭、承和4年(837年)和泉守、承和7年(840年)陰陽頭に還任、承和14年(847年)には加賀守を兼任するなど、淳和朝から仁明朝にかけて陰陽寮官人および地方官を務めた。仁明朝末の嘉祥3年(850年)には21年ぶりに昇進し従五位上に叙せられている。
仁寿3年(853年)5月13日に正五位下に昇叙されるが、同日卒去。享年62。
人物
[編集]陰陽道や暦道に優れ、天文道にも通じていた。若くして才学に優れたが、年齢を重ねるに従い衰えていったという[1]。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:丹波権掾
- 天長2年(825年) 日付不詳:陰陽助
- 時期不詳:正六位上
- 天長6年(829年) 正月:従五位下
- 天長7年(830年) 日付不詳:筑後守
- 天長9年(832年) 2月:陰陽頭
- 承和4年(837年) 日付不詳:和泉守
- 承和7年(840年) 7月22日:陰陽頭
- 承和14年(847年) 正月12日:兼加賀守
- 嘉祥3年(850年) 正月7日:従五位上
- 嘉祥4年(851年) 4月1日:次侍従
- 仁寿3年(853年) 5月13日:正五位下、卒去
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。