藤原てい
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藤原 てい | |
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朝日新聞社「アサヒグラフ」(1949年12月21日号) | |
誕生 |
両角てい 1918年11月6日 日本長野県茅野市 |
死没 | 2016年11月15日(98歳没) |
職業 | 作家 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 長野県立諏訪高等女学校(現・長野県諏訪二葉高等学校) |
配偶者 | 新田次郎 |
子供 | 藤原正彦(次男) |
藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - 2016年11月15日[1])は、日本の作家。夫は作家の新田次郎(本名・藤原寛人)、数学者でエッセイストの藤原正彦は次男。エッセイストの藤原咲子は長女[2]。孫はベーシストの村井研次郎。旧姓両角。
来歴・人物
[編集]長野県茅野市出身。県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。1939年、新田と結婚。1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。敗戦後の1945年、夫を一時残して子供を連れ満州より引き揚げ、帰国後しばらくして新田も帰国。
帰国後、遺書のつもりでその体験をもとに、小説として記した『流れる星は生きている』はベストセラーとなった。一部創作も含まれている。またTBSの『愛の劇場』で1982年にドラマ化された。
読売新聞「人生案内」の回答者を1997年3月まで約13年間務めた。
80歳を過ぎた頃から認知症を発症し、表舞台から退いた。2016年11月15日、老衰のため死去[3]。98歳没。
著書
[編集]- 『流れる星は生きている』日比谷出版社 1949
- 『灰色の丘』寳文館 1950
- 『生きがい論』秋元書房 1971
- 『いのち流れるとき ひとりの女として妻になる才覚』青春出版社 1971
- 『赤い丘赤い河 十字架を背負って』修道社 1972
- 『果てしなき流れのなかに』家の光協会 1977、のち中公文庫
- 『かぎりなき日々に』家の光協会 1981
- 『旅路 自伝小説』読売新聞社 1981、のち中公文庫
- 『わが夫新田次郎』新潮社 1981
- 『妻として母としての幸せ』聖教新聞社 文化教養シリーズ 1982
- 『生きる 藤原ていエッセー集』読売新聞社 1984
- 『たけき流れに』家の光協会 1985
- 『家族』読売新聞社 1987
- 『運命』読売新聞社 1989
- 『あなた、強く生きなさい。』講談社 1993
- 『絆』読売新聞社 1993
- 『折々の栞』読売新聞社 1996
翻訳
[編集]回想
[編集]- 藤原咲子『母への詫び状 新田次郎、藤原ていの娘に生まれて』山と溪谷社 2005
- 藤原咲子『チャキの償い 新田次郎、藤原ていの娘に生まれて』山と溪谷社 2015
テレビ出演
[編集]藤原ていを演じた人物
[編集]脚注
[編集]- ^ “作家の藤原ていさんが死去 「流れる星は生きている」”. 産経新聞 (2016年11月18日). 2024年11月16日閲覧。
- ^ “2009年 4月号 NO.105 【こころの時代】 よく大きくなってくれました 藤原咲子”. NKKラジオ深夜便. 2020年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月16日閲覧。
- ^ “作家の藤原ていさん死去 故新田次郎さんの妻”. 朝日新聞デジタル (2016年11月18日). 2017年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月16日閲覧。