コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

藤井日達

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤井 日達(ふじい にったつ/にちだつ、1885年明治18年)8月6日 - 1985年昭和60年)1月9日)は、熊本県阿蘇(現・阿蘇市一の宮町)出身の僧侶

略歴

[編集]

大分県の臼杵農学校に学び、1903年(明治36年)に臼杵の日蓮宗法音寺にて出家1912年大正元年)日蓮宗大学(現在の立正大学)入学。さらに浄土宗大学院、真言宗学林、法隆寺勤学院、真言宗連合大学、臨済宗建仁寺僧堂にて学ぶ。

1918年(大正7年)10月、旧満州の遼陽に最初の日本山妙法寺を建立、日本国内では1924年(大正13年)に最初の日本山妙法寺を、静岡県富士市田子の浦に建立する。1930年(昭和5年)にインドに渡り、1933年(昭和8年)ガーンディーと出会い、非暴力主義に共鳴。

第二次世界大戦後は、不殺生、非武装、核廃絶を唱えて平和運動を展開。1954年(昭和29年)、ネルー首相より贈られた仏舎利を納めた仏舎利塔を、熊本駅裏の花岡山山頂に建設。1957年(昭和32年)にネルー首相と会見。また「世界宗教者平和会議」や「世界平和会議」の開催にも尽力した。

文献

[編集]

著作

[編集]
  • 『わが非暴力:藤井日達自伝』春秋社、1972年。
  • 『毒鼓』わせだ書房、 1961年。
  • 『仏教と世界平和』日印サルボダヤ交友会編集部、1980年。※増補改訂版、1981年
  • 『藤井日達全集』全10巻、隆文館、1994年~1999年

評伝

[編集]
  • 外川昌彦「藤井日達の西天開教とマハトマ・ガンディーの植民地主義批判―近代日本仏教のアジア布教とインド」『宗教と社会』第21号、2015年、pp. 1-15.
  • 外川昌彦「ガンディーと共に暮らす-1930年代の日印関係と藤井日達のインド体験」『東洋文化研究所研究紀要』第159冊、東京大学、2011年、pp. 322-360.
  • 林 明 「インドにおける日本山妙法寺:石谷上人・森田上人の思想・活動--藤井日達上人とガンディーの精神の継承」『人文社会論叢. 人文科学篇』(20)、弘前大学人文学部、2008年、1~12ページ。
  • 山折哲雄 「孤高の僧、藤井日達と私」講談社現代新書『教えること、裏切られること:師弟関係の本質』講談社、2003年。
  • 内藤雅雄 「M.K.ガーンディーと日本人:日中戦争をめぐって」『アジア・アフリカ言語文化研究』(63)、2002年、125~174ページ。
  • 西数男 『日蓮大聖人と藤井日達大聖人のおはなし:こどものための読物』1988年。
  • 中濃教篤 「藤井日達上人を偲ぶ」『文化評論』(通号 288)、新日本出版社、1985年、206~209ページ。
  • 山折哲雄 「藤井日達のアジア主義:1930年代の日印関係」『アジア経済』17(11)、1976年、21~34 ページ。
  • 丸山照雄 「現代を生きる「僧」の二つの典型:訓覇信雄師と藤井日達師の場合」『思想』(通号 613)、1975年、974~997ページ。
  • 山折哲雄 「インド体験型アジア主義の一類型:藤井日達の場合」『アジア経済』14(9) 、1973年、2~19 ページ。
  • 小沢信男 「日本山妙法寺:藤井日達とその弟子たち-特集・日本の平和思想」『思想の科学・第5次』(29)、1964年、85~93ページ。

外部リンク

[編集]