薬丸兼利
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薬丸 兼利(やくまる かねとし、生没年不詳)は、薩摩藩士。薬丸兼成の子。薬丸兼陳の父。通称は新蔵、大炊兵衛、刑部丞、半左衛門(「鹿児島市史III」の「寛永13年 鹿児嶋衆中屋敷御検地帳」及び>「鹿児島県史料集 旧記雑録後編4」の「寛永9年高帳写」では伴左衛門とする)。
経歴
[編集]- 1632年の「寛永9年高帳写」に「薬丸伴左衛門殿 115石」とある。これにより、寛永年間に通称を刑部之丞から伴左衛門に改名したことがわかる。
- 1636年「寛永十三年、鹿児嶋衆中屋敷御検地帳」[3]によると、『新堀の下』に、『薬丸伴左衛門 下屋敷 5畝10歩』との記述がある。なお、同じ『新堀の下』に『東郷肥前守 下屋敷 2反5畝』とある。「示現流聞書喫緊録付録系図」では子の兼陳が東郷家の近所に住んでいたことに触れている。
人物
[編集]- 「本藩人物誌」でも、父と比べて記述が少ない。「示現流聞書喫緊録付録系図」では、兼利には触れていない。「鹿児島市史III」の「薬丸家文書」の「薬丸家系図」でも系図が子の兼福から始まっている上に、先祖の業績について触れていない。
葬所も不明だが、父の兼成は浄土宗養泉山無量寺不断光院に、子の兼陳は曹洞宗松原山南林寺に葬られているので、この2つのうちのどちらかの可能性が高いものの、明治初年の廃仏毀釈で両方とも廃寺になっており、記録がない。
系譜
[編集]備考
[編集]参考文献
[編集]- 「鹿児島市史III」
- 「本藩人物誌」
- 「三国名勝図会」
- 「示現流聞書喫緊録付録系図」
- 「鹿児島士人名抄録」高城書房