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薛斌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

薛 斌(せつ ひん、生年不詳 - 1421年)は、明代軍人。もとの名は脱歓。本貫大都路昌平県モンゴルの出身。

生涯

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薛台の子として生まれた。洪武年間、父に従って明に帰順し、薛姓を賜った。父が死去すると、燕山右護衛指揮僉事の職を嗣いだ。建文年間、靖難の変が起こると、燕王朱棣の起兵に従い、都督僉事に累進した。永楽年間、永楽帝(朱棣)の漠北遠征に従って功績を挙げ、都督同知に進んだ。永楽18年(1420年)、永順伯に封じられ、指揮使の位の世襲を認められた。

永楽19年(1421年)7月、薛斌は馬隊を率いて永楽帝の第三次漠北遠征に従った[1]。9月丁未、死去した[2]

子の薛綬が永順伯の爵位を嗣いだ。

脚注

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  1. ^ 明史』成祖紀三
  2. ^ 『明史』功臣世表二

参考文献

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  • 『明史』巻156 列伝第44