蕭遙昌
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蕭 遙昌(しょう ようしょう、生年不詳 - 498年)は、南朝斉の皇族。豊城公。字は季暉。
経歴
[編集]始安靖王蕭鳳(蕭道生の長男で、明帝蕭鸞の兄)の子として生まれた。秘書郎を初任とした。太孫舎人・給事中・秘書丞を歴任した。延興元年(494年)、黄門侍郎に任じられた。任につかないうちに、持節・都督郢司二州諸軍事・寧朔将軍・郢州刺史となった。同年(建武元年)、冠軍将軍の号を受け、豊城県公に封じられた。都督豫州郢州之西陽司州之汝南二郡諸軍事・征虜将軍・豫州刺史に転じた。建武2年(495年)、北魏の孝文帝が寿春に進攻してくると、遙昌は参軍の崔慶遠と朱選之を孝文帝のもとに送って交渉させ、攻撃を回避した。
永泰元年(498年)、遙昌は死去した。車騎将軍・儀同三司の位を追贈された。諡は憲公といった。