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蕭 宝嵩(蕭寶嵩、しょう ほうすう、生年不詳 - 中興2年3月13日[1](502年4月5日)は、南朝斉の皇族。晋熙王。明帝蕭鸞の十男。字は智靖。
蕭鸞と殷貴嬪のあいだの子として生まれた。永元2年(500年)、冠軍将軍・丹陽尹となった。4月、持節・都督南徐兗二州諸軍事・南徐州刺史に任じられた。中興元年(501年)、和帝が即位すると、宝嵩は中書令となった。
中興2年3月辛丑(502年4月5日)、謀反の罪で処刑された。
- ^ 『南斉書』巻8, 和帝紀 中興二年三月辛丑条による。
- 『南斉書』巻50 列伝第31
- 『南史』巻44 列伝第34