出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蕭 大威(しょう だいい、大同5年(539年)- 大宝2年8月17日[1](551年10月2日))は、南朝梁の皇族。武寧王。字は仁容。
簡文帝蕭綱の十五男として生まれた。母は范夫人。挙措や態度が美しく、眉目は絵のようであった。
大宝元年(550年)10月、武寧郡王に封じられた。
大宝2年(551年)、信威将軍・丹陽尹として出向した。8月、侯景が簡文帝を廃位すると、大威は殺害された。享年は13。
- ^ 『梁書』巻4, 簡文帝紀 大宝二年八月戊午条による。
- 『梁書』巻44 列伝第38
- 『南史』巻54 列伝第44