蕗原荘
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蕗原荘(ふきはらのしょう)は、信濃国伊那郡(現在の長野県箕輪町一帯)にあった荘園。
歴史
[編集]平安時代に成立した私牧の蕗原牧が、寄進地系荘園となり、天暦8年(954年)には後院領となっている[1]。のちに堀河天皇の中宮篤子内親王から関白藤原忠通らを経て、『吾妻鏡』文治2年3月12日(1186年4月3日)条に後白河法皇から源頼朝に示された「関東御知行国々内乃具未済庄々注文」では関白近衛基通領となっている。建長5年(1253年)には領家が近衛兼経、預所が姉小路顕朝であった[2]。荘内には小河内郷、大井弖郷などの郷村が含まれ、享徳4年(1456年)の無量寺 (長野県箕輪町)の阿弥陀如来像修理銘には「信州伊那郡蕗原庄小河内無量寺」とあり、天文24年(1555年)の銘がある棟札には「宝喜原荘大弖郷」、弘治4年(1556年)の銘がある棟札には「蕗原荘大井弖郷」とある[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『角川日本地名大辞典 20 長野県』(角川書店、1990年)
- 『長野県史 通史編 第2巻 中世1』