葛飾区立亀青小学校
表示
葛飾区立亀青小学校 | |
---|---|
北緯35度45分32秒 東経139度51分10秒 / 北緯35.758889度 東経139.852889度座標: 北緯35度45分32秒 東経139度51分10秒 / 北緯35.758889度 東経139.852889度 | |
過去の名称 |
育幼社 公立青砥学校 亀有学校/青砥学校 亀青尋常小学校 亀青尋常高等小学校 亀青国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 葛飾区 |
設立年月日 | 1872年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B113212200143 |
所在地 | 〒125-0062 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
葛飾区立亀青小学校(かつしかくりつ かめあおしょうがっこう)は、東京都葛飾区青戸にある公立小学校である。
沿革
[編集]- 江戸時代末期、寺小屋教育が宝持院で行われていた。
- 1872年(明治5年) - 学制発布に伴い青砥村115番地、宝持院にて育幼社として開校(葛飾区内初の小学校)[1]。
- 1873年(明治6年) - 「第四番小学青砥学校」(公立青砥学校)[1]。
- 1875年(明治8年) - 「亀有学校」(恵明寺)と「青砥学校」(山崎久蔵宅)に分かれる[1]。
- 1889年(明治22年) - (亀有村、青砥村、砂原村が合併し亀青村が出来る)
- 1892年(明治25年) - 「亀有学校」「青砥学校」が合併し「亀青尋常小学校」(宝寺院にて)[1]。
- 1920年(大正9年) - 「亀青尋常高等小学校」(高等科併置、宝持院を引き払い新築校舎)[1]。
- 1943年(昭和18年) - 「亀青国民学校」(国民学校令)[1]。
- 1947年(昭和22年) - 「東京都葛飾区立亀青小学校」(学制改革、高等科廃止)[1]。
- 1948年(昭和23年) - 亀青小内に亀有中学校ができる[1](キャサリン台風で建築中の校舎が流されてしまったため)。
- 1996年(平成8年) - 「葛飾区立亀青小学校」[1]。
七回の校名変更がある
分校
- 1874年(明治7年) - 現・本田小学校[1]
- 1948年(昭和23年) - 現・道上小学校[1]
- 1951年(昭和26年) - 現・中之台小学校(道上小学校分校)[2]
- 1953年(昭和28年) - 現・白鳥小学校[1]
交通アクセス
[編集]教育目標
[編集]郷土愛や豊かな心の育成
- たてわり活動
- 1年生から6年生の異年齢集団によるたてわり班活動
- ・かめっこタイム(朝の時間のたてわりグループ遊び) ・全校遠足 ・つくってあそぼう集会 ・給食交歓会
- など、6年生をリーダーとして、学年を超えて一緒に活動する。その中で、お互いを思いやったり、認め合う気持ちを育む。
- なかよし学級との交流
- 学校行事や普段の学習の中で、可能な限り一緒に活動する。
- 地域行事への参加
- 亀有地区のロードレース大会
- かつしかスポーツフェスティバル、亀有ふれあい祭り、両津勘吉祭り姿銅像除幕式(演奏・よさこいソーランの踊り)
学級数
[編集]- 19学級となかよし学級4学級が置かれている(令和2年5月1日現在)[4]。
その他
[編集]- 5年次には、臨海学校として千葉県の岩井へ宿泊。6年次には、林間学校として栃木県の日光へ宿泊。
関係者
[編集]出身者
[編集]教職員
[編集]- 岩辺泰吏(教育評論家)