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京都市立朱雀第三小学校

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京都市立朱雀第三小学校
地図北緯34度59分54秒 東経135度44分24秒 / 北緯34.99825度 東経135.74度 / 34.99825; 135.74座標: 北緯34度59分54秒 東経135度44分24秒 / 北緯34.99825度 東経135.74度 / 34.99825; 135.74
過去の名称 松原尋常小学校
朱雀第三尋常小学校
朱雀第三尋常高等小学校
朱雀第三国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1921年(大正10年)4月1日[1][2]
共学・別学 男女共学
学校コード B126210000420 ウィキデータを編集
所在地 604-8823
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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京都市立朱雀第三小学校(きょうとしりつ すざくだいさんしょうがっこう)は、京都府京都市中京区にある公立小学校である。なお、現校地に位置した葛野郡第三高等小学校についても解説する。

概要

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1918年(大正7年)の京都市編入により旧葛野郡朱雀野村域を概ねの範囲として発足した京都市下京第34学区において、壬生尋常小学校(現在の京都市立朱雀第一小学校)と豊楽尋常小学校(現在の京都市立朱雀第二小学校)に次ぐ3番目の小学校として1921年(大正10年)に開校した。

後に朱雀第三小学校となる松原尋常小学校は、下京第34学区に隣接する下京第35学区(旧大内村)に位置していた葛野郡第三高等小学校の旧校地校舎を利用して設置された。 そのため、1929年(昭和4年)の中京区分区から、下京区にある小学校に中京区の児童が通っている状態が続いていた[3]。この通学区域と学校所在地における行政区の不一致状態は、2014年4月に朱雀第三小学校の敷地を下京区中堂寺中町から、隣接する中京区壬生松原町に編入することにより解消された[3]

沿革

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葛野郡第三高等小学校

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朱雀第三小学校

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  • 1920年(大正9年)- 葛野郡第三高等小学校廃校。校舎校地を買収して壬生尋常小学校の松原分教場が開設[2]
  • 1921年(大正10年)- 松原尋常小学校発足[5]
  • 1923年(大正12年)8月 - 校名を松原から朱雀第三に改称[2]
  • 1928年(昭和3年)- 高等科を併設[2]
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により朱雀第三国民学校と改称[4]
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により京都市立朱雀第三小学校と改称[4][6]
  • 2014年平成26年) - 学校の所在地の公称町名が下京区中堂寺北町から中京区壬生松原町に変更される[3]

主な進学先

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市立中学校に進学する場合、通学先は京都市立松原中学校である[7]

交通アクセス

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通学区域

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通学区域は、後述する「#朱雀第三学区」の範囲に壬生下溝町の一部を加えたものである[7]

関係者

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朱雀第三学区

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朱雀第三学区(すざくだいさんがっく[注釈 1])は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市中京区に位置する。朱雀第三小学校のかつての通学区域を範囲とする、京都市の地域自治の単位となっている。

朱雀第三学区の名称の朱雀のもととなるのは明治22年(1889年)の町村制施行に伴い、聚楽廻西京村壬生村が合併して成立した朱雀野村である。朱雀野村は大正7年(1918年)に西院村の一部と共に京都市下京区(当時)に編入され、編入された区域は下京第34学区となった。

下京第34学区は、昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京区・下京区から、左京区・中京区・東山区が分区されると、朱雀学区となり、中京区に属した[8]

学区内には、明治37年(1904年)に朱雀野小(のちに朱雀第一小と改称)が創立し、大正元年(1912年)には朱雀野第二小(のちに朱雀第二小と改称)、大正10年(1921年)には松原小(のちに朱雀第三小と改称)、昭和4年(1929年)に朱雀第四小、昭和5年(1930年)に朱雀第五小、昭和7年(1932年)に朱雀第六小、昭和8年(1933年)に朱雀第七小、昭和12年(1937年)に朱雀第八小が創立された[2][注釈 2]

昭和16年(1941年)に国民学校令の施行により学区の根拠が失われ[9](京都市の学区そのものは昭和17年(1942年)に廃止[10])、昭和16年6月に国民学校の通学区域を単位とする町内会連合会が発足[9][注釈 3]。朱雀第三国民学校の通学区域を単位として朱雀第三町内会連合会が設置され[11]、戦後のポツダム政令[12]による解体ののち、住民自治の単位である現在の朱雀第三学区となった。

地理

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朱雀第三学区は、中京区の南西部に位置し、北側が朱雀第一学区朱雀第五学区、西側が朱雀第七学区、南側が下京区の光徳学区、東側が下京区の郁文学区と接する[13]。区域は、概ね東は櫛笥通、北は四条通、西は七本松通、南は松原通であり、近世の壬生村であり、壬生を冠称する町の一部から構成される。面積は0.413 平方キロメートルである[注釈 4]

人口・世帯数

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京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[14]、朱雀第三学区の区域に設定されている国勢統計区(中京区第8国勢統計区[注釈 5])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は7,635人、4,206世帯である。

朱雀第三学区の通り

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朱雀第三学区の公称町名

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  • 壬生高樋町
  • 壬生松原町
  • 壬生辻町
  • 壬生梛ノ宮町
  • 壬生賀陽御所町
  • 壬生相合町

交通

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鉄道
路線バス

主な施設

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教育機関
社寺・旧跡
その他
  • 京都壬生松原郵便局

脚注

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注釈

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  1. ^ 学区(元学区)の読みは、『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 23, 「朱雀第三学区」にもとづく。
  2. ^ 第二次世界大戦前の京都市の学区については、学区内に新たに小学校が創立して通学区域が分割されても、学区の区域が分割されることはなかった。(→「京都の元学区」の記事を参照。)
  3. ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020)など中京区役所の資料で昭和16年に朱雀地域が8つの学区となると記しているのは、このときに8つの小学校(国民学校)に対応して8つの町内会連合会が設置されたことによると考えられる。
  4. ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービス国勢統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。
  5. ^ 令和2年国勢調査時点

出典

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  1. ^ a b 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 73, 「京都市立朱雀第三小学校
  2. ^ a b c d e f 『京都市学区大観』 (1937), pp. 76–79, 「中京区朱雀学区
  3. ^ a b c 朱雀第三小の所在地と校区、不一致解消 来春、区境界変更へ”. 京都新聞 (2013年10月24日). 2013年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月2日閲覧。
  4. ^ a b c d 朱雀第三小学校 学校の沿革”. 京都市立朱雀第三小学校. 2024年5月4日閲覧。
  5. ^ 『京都市各学区名誉職大鑑』,合同衛生教育新報社,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1025077 (参照 2024-01-21)
  6. ^ a b 京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年3月2日閲覧。
  7. ^ a b c 京都市通学区町名一覧(中京区)”. 京都市教育委員会. 2024年3月2日閲覧。
  8. ^ 「昭和4年3月29日京都府告示第80号」京都市 編『京都市 地名・町名の沿革』1994年、50-51頁。 
  9. ^ a b 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 1 (政治・行政編)』京都府、1971年、248頁。doi:10.11501/9537070https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537070/1/135 
  10. ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537074/1/112 
  11. ^ 京都市戦時生活局振興課 編「各區町內會聯合會別地域組合、高額貯蓄組合竝ニ國債債劵隣保消化目標額」『国民貯蓄増強のしるべ 昭和18年度』京都市、1943年、14-24頁。doi:10.11501/1274568https://dl.ndl.go.jp/pid/1274568/1/11 
  12. ^ 町内会部落会又はその連合会等に関する解散、就職禁止その他の行為の制限に関する政令(昭和22年政令第15号)
  13. ^ 令和2(2020)年 国勢調査地図”. 2024年2月17日閲覧。
  14. ^ 用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
  15. ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 24, 「朱雀第三学区」.

参考文献

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  • 『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年。doi:10.11501/1440637 (国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1440637 )
  • 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830 
  • 中京区民ふれあい事業実行委員会90周年事業検討部会『中京区制90周年記念事業 中京暮らしの文化・歴史絵巻』2020年https://www.city.kyoto.lg.jp/digitalbook/page/0000000960.html2024年3月2日閲覧 
  • 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』平凡社、1985年。doi:10.11501/9575674ISBN 9784582477092 

関連項目

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外部リンク

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