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葛城烏那羅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
葛城 烏那羅
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
別名 烏那羅臣、烏奈良、小楢
主君 聖徳太子
氏族 葛城臣
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葛城 烏那羅(かつらぎ/かずらき の おなら、生没年不詳)は、古墳時代飛鳥時代豪族。名は烏奈良小楢とも表記する。厩戸皇子(聖徳太子)の側近。

経歴

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蘇我馬子物部守屋を討った際、泊瀬部皇子(後の崇峻天皇)・厩戸皇子らと共に参陣した。崇峻天皇4年(590年)11月新羅討伐大将軍の一人として諸氏の臣・連を率いて裨将部隊2万余を領し、筑紫に在陣した(ただし実際に渡海はしていない)。

厩戸皇子が伊予国の温泉(いよのゆ、現在の道後温泉か)に行啓した折に、僧・恵慈と共に同行した「葛木臣」を葛城烏那羅のことであるとする説もある[要出典]

なお、飛鳥池遺跡からは「湯評伊波田人葛木部鳥」と書かれた木簡が出土している。

脚注

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関連項目

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