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葛利毛織工業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
葛利毛織工業株式会社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
493-0004
愛知県一宮市木曽川町玉ノ井字宮前1
北緯35度20分6.6秒 東経136度45分34.7秒 / 北緯35.335167度 東経136.759639度 / 35.335167; 136.759639座標: 北緯35度20分6.6秒 東経136度45分34.7秒 / 北緯35.335167度 東経136.759639度 / 35.335167; 136.759639
設立 1912年(創業)
1949年(設立)
業種 繊維工業
法人番号 3180001084492
代表者 代表取締役 葛谷幸男
資本金 2000万円[1]
従業員数 21人(2020年)[2]
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葛利毛織工業株式会社(くずりけおりこうぎょう)は、愛知県一宮市木曽川町玉ノ井字宮前1に本社を置く繊維企業

1912年(明治45年)に創業し、2012年(平成24年)には創業100周年を迎えた。2020年(令和2年)8月17日には多数の建物が登録有形文化財に登録された。

手織りに近い風合いを得られる10台のションヘル織機(Schönherr loom)を用い、高付加価値を有するさまざまな織物を製造している。自社ブランドとして「DOMINX」を有し、日本国外の高級ブランドなどにも用いられている[2][1]のこぎり屋根工場が残る敷地は職住一体の経営形態の様相を伝えているとされる[3]

歴史

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尾州産地と玉ノ井

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愛知県北西部の尾州産地は日本を代表する毛織物産地である[4]葉栗郡玉ノ井村(現・一宮市木曽川町玉ノ井地区)では明治初頭に(かすり)の製造が始まり、木綿絣(もめんがすり)や絹綿交織絣(けんめんこうしょくがすり)では愛知県有数の産地となった[5]。大正時代にも絹綿交織絣の製造が主流だったが、昭和初期には毛織物の製造が中心となっている[5]

創業とその後

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葛利毛織工業は1912年(明治45年)に創業し、当初は絹綿交織絣の製造などを行っていた[5]。大正末期には力織機を導入して毛織物の製造を始めた[5]。昭和に入ると四巾力織機を導入してサージの製造を行った[5]

1932年(昭和7年)には工場、事務所、離れなどを建て、織物製造にションヘル織機を導入した[4]太平洋戦争中には尾西産地の紡績工場などが軍需産業への転換を強いられたが、葛利毛織工業は戦時中も織物製造を続け、軍服の生地などを製造した[6]。紡績工場から転換した軍需工場は壊滅的な被害を受けたが、葛利毛織工業やションヘル織機などは空襲を逃れて終戦を迎えた[6]

工場の竣工当初は北側の2スパンのみだったが、1945年(昭和20年)頃には南側の2スパンが増築された[5]。1949年(昭和24年)に葛利毛織工業株式会社が設立された。1950年(昭和25年)の朝鮮戦争勃発を機に、ガチャマン景気が起こって尾西産地は好況に沸いた[6]。戦後の1948年(昭和23年)頃には原糸倉庫を、1949年(昭和24年)頃には主屋を、1952年(昭和27年)頃には男子寮を、1957年(昭和32年)頃には倉庫が建てられた。昭和30年代には工場が東西に増築された[5]

1960年代には毛織物の輸入が自由化され、国際的な競争が激化して尾州産地の工場は減少した[2]

近年の動向

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2009年(平成21年)5月に日本国外のアパレル企業が集まる商談会に参加した際、丁寧な仕上がりが絶賛されたことで、高級ブランドに生地が採用されるようになった[1][7]。2010年(平成22年)1月には愛知県によって2009年度(平成21年度)の愛知ブランド企業に認定された[4][8]。2012年(平成24年)には創業100周年を迎えた。

2020年(令和2年)8月17日、工場、事務所、主屋、離れ、男子寮、旧浴場及び便所、土蔵、原糸倉庫、倉庫が登録有形文化財に登録された[3][9]。葛利毛織工業の登録を契機として、2022年(令和4年)7月から8月には一宮市博物館で企画展「のこぎり屋根工場」が催された[10]

建築物

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葛利毛織工業 工場
西側から見た工場
情報
構造形式 木造、瓦葺
建築面積 563 m²
階数 平屋建
竣工 1932年頃
文化財 登録有形文化財
指定・登録等日 2020年8月17日
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工場

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木造平屋建、瓦葺[11]。建築面積563㎡。1932年(昭和7年)頃竣工[11]。1945年(昭和20年)改修[11]。昭和30年代増築[11]。敷地の北側に建つ[5]。尾州産地には数多く残るのこぎり屋根工場である。北向きに窓が付いているため、時間による光量の変動が少なく、糸や布の検品に適しているとされる[3]

事務所

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木造2階建、瓦葺[11]。建築面積55㎡[11]。1932年(昭和7年)頃竣工[11]。門を入って西側に建つ[5]。外観は洋風の下見板張であるが、内部は和風の意匠を有している[5]

主屋

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木造2階建、瓦葺[11]。建築面積186㎡[11]。1949年(昭和24年)頃竣工[11]。門を入って東側に建つ[5]。東西方向に延びる南側は住居部分であり、南北方向に延びる北側は倉庫部分である[5]。かつて北側は女子寮として用いられていた[5]

離れ

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木造2階建、瓦葺[11]。建築面積97㎡[11]。1932年(昭和7年)頃竣工[11]。1950年頃改修[11]。1975年頃増築[11]。事務所の北西に接続している経営者一家の住居である[5]

男子寮

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木造2階建、瓦葺[11]。建築面積43㎡[11]。1952年(昭和27年)頃竣工[11]。1957年(昭和32年)頃増築[11]。工場の南東に建つ[5]。現在は倉庫として用いられている[5]

旧浴場及び便所

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木造平屋建、瓦葺[11]。建築面積34㎡[11]。1955年(昭和30年)頃竣工[11]。昭和30年代増築[11]。男子寮の東に建ち、東側は男子浴場、西側は女子浴場となっている[5]。現在は男子浴場が物置、女子浴場が糸置き場として用いられている[5]

土蔵

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土蔵造2階建、瓦葺[11]。建築面積55㎡[11]。江戸末期竣工[11]。工場と離れの間に建つ[5]

原糸倉庫

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木造平屋建、瓦葺[11]。建築面積56㎡[11]。1948年(昭和23年)頃竣工[11]。工場と倉庫の間に建つ[5]

倉庫

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木造平屋建、瓦葺[11]。建築面積52㎡[11]。1957年(昭和32年)頃竣工[11]。原糸倉庫の南側に連続して建つ[5]

脚注

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  1. ^ a b c 「わがまち企業最前線 葛利毛織工業(一宮市) 創業100年 低速織機に誇り」『中日新聞』2012年10月29日。
  2. ^ a b c 「愛知に残したい五感『聴』2 一宮市の『葛利毛織工業』 織機オーケストラ」『中日新聞』2020年5月1日。
  3. ^ a b c 「のこぎり屋根 登録文化財へ 葛利毛織工業の9棟 一宮 職住一体の経営 物語る」『中日新聞』2020年3月20日。
  4. ^ a b c 葛利毛織工業株式会社 愛知県
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 葛利毛織工業株式会社 一宮市
  6. ^ a b c 「2025年 戦後80年へ 一宮の葛利毛織工業 軍服から高級品へ ションヘル織機健在 戦火越え思いを紡ぐ」『中日新聞』2024年8月16日。
  7. ^ 「大いなる中小 ニッポンの底力 ションヘル型織機 公立より質 老兵現役」『中日新聞』2015年2月8日。
  8. ^ 「愛知ブランド企業 本年度の21社認定」『中日新聞』2010年1月21日。
  9. ^ 葛利毛織工業株式会社主屋 文化遺産オンライン
  10. ^ 「のこぎり屋根 一宮の誇り 博物館で写真や織機部品展示」『中日新聞』2022年7月18日。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 葛利毛織工業株式会社 愛知県

参考文献

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  • 『明日の日本を支える元気なモノ作り中小企業300社 2009年版』経済産業省中小企業庁、2009年。 
  • 岩井章真、天野武弘、野口英一朗、磯部恭子、小野雅信「一宮市木曽川町玉ノ井の毛織物工場(その1)葛利毛織工業の沿革と機械」『産業遺産研究』、中部産業遺産研究会、2017年7月、5-14頁。 
  • 磯部恭子、野口英一朗、小野雅信、岩井章真、天野武弘「一宮市木曽川町玉ノ井の毛織物工場(その2)葛利毛織工業の建物の現状」『産業遺産研究』、中部産業遺産研究会、2017年7月、15-24頁。 
  • 野口英一朗、磯部恭子、小野雅信、岩井章真、天野武弘「一宮市木曽川町玉ノ井の毛織物工場(その3)葛利毛織工業の建物の変遷」『産業遺産研究』、中部産業遺産研究会、2017年7月、25-34頁。 
  • 岩井章真、野口英一朗「全国の文化財登録された鋸屋根工場のリスト化 葛利毛織工業株式会社工場の文化財登録を契機として」『産業遺産研究』、中部産業遺産研究会、2020年7月、22-29頁。 

外部リンク

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