葛井根道
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葛井 根道(ふじい の ねみち、生没年不詳)は、奈良時代の官人。姓は連。官位は外従五位下・伊豆守。
経歴
[編集]孝謙朝から淳仁朝にかけて造東大寺主典・判官を務める。天平宝字7年(763年)礼部少輔・中臣伊加麻呂とその子息の真助と3人で飲酒し、忌諱すべき内容(孝謙上皇と道鏡との関係か)に話が及んだとして通報され、伊加麻呂は大隅守に左遷され、真助は土佐国、根道は隠岐国へそれぞれ流罪となった。
その後罪を赦されたらしく、光仁朝末の宝亀10年(779年)外従五位下に叙せられ、翌宝亀11年(780年)伊豆守に任ぜられている。
官歴
[編集]注記のないものは『続日本紀』による。
- 天平勝宝元年(749年) 12月19日:見造東大寺主典[1]
- 天平勝宝2年(750年) 5月20日:見造東大寺主典従七位上[2]
- 天平勝宝7歳(755年) 5月27日:見造東大寺主典正七位上[3]
- 天平宝字元年(757年) 8月19日:見造東大寺主典正六位上[4]
- 天平宝字5年(761年) 12月23日:見造東大寺判官[5]
- 天平宝字7年(763年) 12月29日:流罪(隠岐)
- 宝亀10年(779年) 正月23日:外従五位下
- 宝亀11年(780年) 3月17日:伊豆守