一宮市立葉栗小学校
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一宮市立葉栗小学校 | |
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北緯35度20分28.0秒 東経136度48分27.3秒 / 北緯35.341111度 東経136.807583度座標: 北緯35度20分28.0秒 東経136度48分27.3秒 / 北緯35.341111度 東経136.807583度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 一宮市 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210003661 |
所在地 | 〒491-0132 |
愛知県一宮市大毛字南出30 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
一宮市立葉栗小学校(いちのみやしりつはくりしょうがっこう)は、愛知県一宮市大毛にある公立小学校。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)3月 - 光明寺村に求心学校、高田村に立昌学校が開校。
- 1876年(明治9年)5月 - 求心学校が宮西学校、立昌学校が大江学校に改称する。
- 1881年(明治14年)11月 - 宮西学校が光明寺学校に改称する。
- 1887年(明治20年)3月 - 大江学校が廃校。児童は光明寺学校と尋常小学東浅井学校へ移る。
- 1891年(明治24年)10月 - 大田島村に葉栗高等小学校を設置。
- 1892年(明治25年)
- 1900年(明治33年)4月 - 葉栗高等小学校を廃止。葉栗郡中部高等学校が開校。
- 1906年(明治39年)
- 1909年(明治42年)4月 - 葉栗郡中部高等学校、葉栗中尋常小学校、葉栗南尋常小学校を統合し、葉栗南尋常高等小学校となる。
- 1911年(明治44年)2月 - 葉栗北尋常小学校と葉栗南尋常高等小学校を統合し、葉栗尋常高等小学校となる。校舎は葉栗村字大毛に新築。光明寺に北仮教場、島村に南仮教場を設置。
- 1912年(明治45年)4月 - 実業補習学校を併設する。
- 1935年(昭和10年)7月 - 青年学校を併設する。
- 1940年(昭和15年)8月1日 - 葉栗村が一宮市に編入される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 葉栗国民学校に改称する。
- 1943年(昭和18年)7月 - 南仮教場を廃止。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 一宮市立葉栗小学校に改称する。
- 1951年(昭和26年)3月 - 校舎(木造2階建)を新築する。
- 1952年(昭和27年)3月 - 北仮教場を北分校(光明寺分校)に改称する[注釈 1][1]。
- 1956年(昭和31年)2月 - 校舎(北舎・鉄筋コンクリート造)を新築する。
- 1964年(昭和39年)8月 - 校舎(北舎・鉄筋コンクリート造)を増築する。
- 1968年(昭和43年)3月 - 校舎(南舎・鉄筋コンクリート造)を新築する。
- 1970年(昭和45年)8月 - 校舎(北舎・鉄筋コンクリート造)を増築する。
- 1975年(昭和50年)8月 - 屋内運動場が完成。
- 1977年(昭和52年)
- 3月31日 - 北分校を廃止。
- 4月1日 - 一宮市立葉栗北小学校を分離する。
通学区域
[編集]- 大毛、佐千原、島村、高田、富塚、中島通5丁目の一部[2]。
進学先中学校
[編集]交通アクセス
[編集]- 名鉄バス光明寺線「大毛」バス停より徒歩約5分。
- 名鉄一宮駅バスターミナルより10系統・11系統
参考文献
[編集]- 新学制二十周年記念 一宮市小中学校誌 (一宮市小中学校長会 1967年) P.20 - 21
- 新学制三十周年記念 一宮市小中学校誌 (一宮市小中学校長会 1978年) P.75 - 78
- 新学制五十周年記念 一宮市小中学校誌 (一宮市小中学校長会 1998年) P.25 - 26
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 光明寺分校は現在の一宮市光明寺字大条戸135に存在した。跡地は一宮市立光明寺保育園になっている。