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落合直澄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

落合 直澄(おちあい なおずみ、1840年天保11年)- 1891年明治24年)1月6日)は、幕末から明治時代の国学者神職である。通称は一平。号は小慎舎。

経歴・人物

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落合俊雄の子および落合直亮の実弟として武蔵多摩郡駒木野村(現在の東京都青梅市[1])に生まれる。若くして堀秀成の門人となり、国学を学ぶ。後に富樫広蔭御巫清直に師事。

後に兄と共に尊王攘夷に加わり、官軍であった河田景与の指示で戊辰戦争に参戦した。維新後、伊勢神宮豊受大神宮出雲大社禰宜等を歴任し、神職としても活動した。1889年(明治22年)には皇典講究所で教鞭を執った。墓所は雑司ヶ谷霊園

主な著作物

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  • 『古事記後伝』
  • 『古事記講録』
  • 『日本古代文字考』
  • 『語格大成図』

脚注

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  1. ^ 東京都八王子市とする説もある。

出典

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外部リンク

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