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萩武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

萩 武(はぎ たけし、1920年 - 1944年10月20日)は、日本の元アマチュア野球選手。三重県出身。

来歴・人物

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三重県の上野尋常高等小学校卒業。どうしても浪華商業(現・大阪体育大学附属中学校・浪商高等学校)で野球をしたくて入学。在学中は、甲子園に3回出場(内訳は春2回〈1936年,1937年〉、夏1回〈1937年〉)。この内、1937年春には5番・中堅手として同校の初優勝に貢献(第14回選抜中等学校野球大会の項も参照)。決勝戦の中京商業(現・中京大学附属中京高等学校)戦では、4回裏に追加点となるセンター前タイムリーヒットを放った。

浪華商業卒業後の1938年に、地元の関西大学に進学。大学野球でもリーグ戦に出場した。関大卒業後は、1942年より満州クラブチームの強豪・大連実業団に所属。この年に行われた戦前最後の都市対抗野球大会ではチームのベスト4にも貢献した(準決勝で大同製鋼〈大阪市〉に5-6で惜敗)。

その後応召され、1944年10月20日フィリピンレイテ島にて戦死した。享年23。

東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている[1]。また、萩の姉・晶子は弟の死に対し、「高校野球又巡り来ぬ遠き日の 戦に散りし弟哀れ」(浪華商初優勝に貢献した弟を賞賛し、同時に戦死を追悼する挽歌となっている)という短歌を詠んでいる。

脚注

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