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菊池 序克(きくち つねかつ、宝暦元年(1751年)[1] - ?)は、江戸時代中期から後期にかけての装剣金工家[1][2]。通称は清次郎[1][2]。号は草流軒、蟻洞軒[1][2]。晩年の入道後には宗寿とも号した[1]。
江戸下谷根岸に住む[1][2]。宝暦から明和頃に掛けて活躍[1][2]。
稲川直克に横谷派や柳川派の技法を学び、菊池派を創始し、多くの門弟を養成する[1][2]。高彫り色絵と毛彫りや片切彫りを得意とした[1][2]。没年は不明だが作品から64歳以上の生存が確認されている[2]。