菊地新学
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菊地 新学(きくち しんがく、天保3年(1832年) - 大正4年(1915年)4月17日[1][2][3][3][注釈 1])は、明治時代の写真師[1]。菊地常右衛門の子[5]。同じく写真師の菊地宥清の父[6]。オリエンタル写真工業の社長を務めた菊地東陽の祖父[1]。昭和期の実業家の菊地友雄の曽祖父[6]。北海道旭川で最初の写真館を開業し、日露戦争に従軍した写真師中鉢直綱の祖父。
経歴・人物
[編集]出羽国天童に生まれる[1][4]。江戸で写真術を学び、明治元年(1868年)山形初の写真館を開く[1][4]。技量を磨くため同8年(1875年)に再び上京[4]。横山松三郎や清水東谷に師事[1][4]。翌年の同9年(1876年)から山形県令の三島通庸の命を受け、画家の高橋由一と共に県下の近代化促進事業を撮影[1][4]。日本における土木・建築記録写真の先駆者となった[1][4]。
外部リンク
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
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