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菅浦一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
すが うらいち

菅 浦一
『時の人 時代を牛耳る人物点描』(1952年)
掲載肖像
生誕 1920年1月4日[1]
日本の旗 日本 愛媛県[2]もしくは福岡県[1]
死没 (2003-11-23) 2003年11月23日(84歳没)[3]
出身校 明治大学政治経済学部[2]
職業
肩書き
  • 平和農産工業株式会社 元代表取締役
  • 西南観光開発株式会社 元代表
  • 不二興産株式会社 元代表取締役社長
  • 極東工業株式会社 元代表取締役社長
  • 日本馬主協会連合会 第10代会長[4]・元名誉会長[3]
配偶者 菅 和子[2]
子供 菅 千太郎(長男)[2][3]
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菅 浦一(すが うらいち、1919年1月4日[2] - 2003年11月23日[3])は、日本実業家馬主

平和農産工業株式会社社長、日本馬主協会連合会第10代会長を務めた。

経歴・人物

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1919年愛媛県出身[2]明治大学卒業後、三菱鉱業を経て1948年12月製鉄原料の販売を手掛ける不二興産株式会社を設立した[2][5]。ほかフェロアロイを取り扱う極東工業株式会社社長[6]、ゴルフ場運営などを行う平和農産工業株式会社・西南観光開発株式会社各代表を歴任[1][7]2003年11月23日肺気腫のため死去[3]。83歳没。

趣味ゴルフ[1]読書[2]

馬主活動

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日本中央競馬会に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は黄、赤鋸歯形、冠名には「アモン」を用いた。「株式会社アモン」の法人名義も存在し、そちらの勝負服の柄は黄、袖青一本輪、赤鋸歯形となっている。

1993年4月から6月にかけて日本馬主協会連合会会長を務めた[4]

主な所有馬

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重賞競走優勝馬

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レース名の*印は、「株式会社アモン」名義での勝ち鞍。

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d 『不動産会社要覧』関東版 1985 は行 417頁
  2. ^ a b c d e f g h 『東京紳士録』昭和39年版 す 4頁
  3. ^ a b c d e 読売新聞 2003年11月25日付 39頁
  4. ^ a b 役員・歴代会長紹介”. 日本馬主協会連合会. 2024年6月2日閲覧。
  5. ^ 『三菱鉱業社史』939頁
  6. ^ 『会社総鑑 1964年版』鉄鋼金属 330頁
  7. ^ 『東商信用録』 九州版 昭和61年版 福岡中南部 208頁

参考文献

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  • 『不動産会社要覧』関東版 1985(住宅新報社、1985年2月)
  • 『東京紳士録』昭和39年版(東京探偵社、1964年)
  • 三菱鉱業セメント株式会社総務部社史編纂室『三菱鉱業社史』(三菱鉱業セメント株式会社・凸版印刷株式会社年史センター、1976年)
  • 『会社総鑑』1964年版(日本経済新聞社、1694年)
  • 『東商信用録』九州版 昭和61年版(東京商工リサーチ福岡支社、1986年8月)

外部リンク

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先代
山本愼一
日本馬主協会連合会 会長
1993
次代
小紫芳夫