菅浦一
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すが うらいち 菅 浦一 | |
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『時の人 時代を牛耳る人物点描』(1952年) 掲載肖像 | |
生誕 |
1920年1月4日[1] 日本 愛媛県[2]もしくは福岡県[1] |
死没 | 2003年11月23日(84歳没)[3] |
出身校 | 明治大学政治経済学部[2] |
職業 | |
肩書き | |
配偶者 | 菅 和子[2] |
子供 | 菅 千太郎(長男)[2][3] |
菅 浦一(すが うらいち、1919年1月4日[2] - 2003年11月23日[3])は、日本の実業家、馬主。
平和農産工業株式会社社長、日本馬主協会連合会第10代会長を務めた。
経歴・人物
[編集]1919年、愛媛県出身[2]。明治大学卒業後、三菱鉱業を経て1948年12月に製鉄原料の販売を手掛ける不二興産株式会社を設立した[2][5]。ほかフェロアロイを取り扱う極東工業株式会社社長[6]、ゴルフ場運営などを行う平和農産工業株式会社・西南観光開発株式会社各代表を歴任[1][7]。2003年11月23日、肺気腫のため死去[3]。83歳没。
馬主活動
[編集]日本中央競馬会に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は黄、赤鋸歯形、冠名には「アモン」を用いた。「株式会社アモン」の法人名義も存在し、そちらの勝負服の柄は黄、袖青一本輪、赤鋸歯形となっている。
1993年4月から6月にかけて日本馬主協会連合会会長を務めた[4]。
主な所有馬
[編集]重賞競走優勝馬
[編集]レース名の*印は、「株式会社アモン」名義での勝ち鞍。
- ファーストアモン(1979年京成杯、1980年新潟大賞典*)
- ロバリアアモン(1984年フェブラリーハンデキャップ)
- アンドレアモン(1984年ウインターステークス*、1985年フェブラリーハンデキャップ*)
- カイラスアモン(1988年東京新聞杯*)
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『不動産会社要覧』関東版 1985(住宅新報社、1985年2月)
- 『東京紳士録』昭和39年版(東京探偵社、1964年)
- 三菱鉱業セメント株式会社総務部社史編纂室『三菱鉱業社史』(三菱鉱業セメント株式会社・凸版印刷株式会社年史センター、1976年)
- 『会社総鑑』1964年版(日本経済新聞社、1694年)
- 『東商信用録』九州版 昭和61年版(東京商工リサーチ福岡支社、1986年8月)
外部リンク
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