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菅沼定吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
菅沼定吉
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文22年(1553年
死没 慶長11年7月17日(1606年8月20日
別名 新三郎、藤十郎、越後守
戒名 法名:浄空
墓所 武蔵国比企郡唐子村(現:埼玉県東松山市上唐子)浄空院
官位 従五位
主君 徳川家康徳川秀忠
氏族 菅沼氏
父母 父:菅沼定氏、母:某氏
小栗忠政
定俊、筧政次妻、定則
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菅沼 定吉(すがぬま さだよし)は、戦国時代武将

略歴

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徳川家康に仕え、元亀3年(1572年三方ヶ原の戦いに参加。以後、田中城攻め・長篠の戦い長久手の戦いに参加。

天正18年(1590年)の関東転封に際して武蔵国比企郡埼玉郡、下総国匝瑳郡の内、合わせて三千五十石を領する。最初期の大番頭として、文禄の役において家康の名護屋駐屯に従う。

帰国後の慶長始めに大番が家康・秀忠間に分割され、秀忠麾下となり関ヶ原合戦でも従う。慶長11年7月17日死去、54歳。

参考文献

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