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菅原義広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

菅原 義広(すがはら よしひろ、1958年1月2日 - 2011年2月4日)は元国際A級モトクロスライダー(関東名門チームの東希和レーシング→チームグリーン)。チームグリーンの最初のメンバー。1984年国際B級125チャンプを経て、1985年に国際A級入り。二輪車安全運転準指導員(1986年11月20日認定)。四級小型船舶操縦士免許、フォークリフト運転技能講習修了証、危険物取扱者免状(乙種4類)、消防設備士免状(乙種6類)、2級ボイラー技士免許証所持。

ブリヂストンの社員。的確にエンジニアに伝えフィードバックできる能力、開発力のあるテストライダー、テストドライバーとして高く評価されている。

1988年10月25日、神戸市内のホテルで、りかサンと挙式。この式で仲人を務めたのは、東希和レーシングの先輩である伊田井佐夫夫妻。列席者のなかには、岡部篤史、立脇三樹夫、野宮修一らのA級ライダーが顔を並べた。

2011年2月4日ブリヂストンの栃木工場のトレーニング室で、エアロバイクを漕いでいる最中に倒れた。18時20分には「負荷をかけ過ぎた。低血糖だ。」と話し、意識はあった。18時50分に救急隊が到着した時には、心肺停止状態で、大田原赤十字病院へ搬送された。19時24分に死亡が確認され、作成されたのは、死亡診断書ではなくて、死体検案書だった。心筋梗塞により他界。享年53。法名は釋義敬。墓所は、那須塩原市の赤田霊園にある。

山形県東根市出身。菅原家の家紋は丸に梅鉢紋。

経歴

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モトクロス (MX) の戦歴

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  • 1979年 - 初レース(21歳)
  • 1981年 - 第14回 5時間耐久MX(MCFAJ 東京都西支部) 総合優勝
  • 1982年 - 全日本モトクロス選手権シリーズランキング 国際B級125 ccクラス 24位 / 国際B級250 ccクラス 25位
  • 1983年 - 全日本モトクロス選手権シリーズランキング 国際B級125 ccクラス 9位 / 国際B級250 ccクラス 6位                                第3戦(中部スポーツランド)   :125 cc 1位
  • 1984年 - 全日本モトクロス選手権シリーズランキング 国際B級125 ccクラス チャンピオン / 国際B級250 ccクラス 2位
    • 第1戦(セーフティパーク埼玉)  :125 cc  4位
    • 第2戦(四国)        :125 cc  2位
    • 第3戦(中国)        :125 cc  3位
    • 第4戦(鈴鹿サーキット) :125 cc  6位  250 cc  1位
    • 第5戦(菅生)   :125 cc  1位
    • 第6戦(北海道) :125 cc  2位  250 cc  1位
    • 第8戦(山形)  :125 cc  3位  250 cc  1位
    • 第9戦(九州)  :125 cc  2位  250 cc  1位
    • 第10戦日本GP(鈴鹿サーキット) :125 cc  2位   250 cc  2位
    • チャンプを決めた125 ccでは最低でも6位。4ポイント差でランク2位となった250 ccでは4回の優勝を飾る。この頃の練習量の多さは有名。
  • 1985年 - 全日本モトクロス選手権シリーズランキング 国際A級250 ccクラス 17位
    • 第3戦(オートランド山陰)  :ヒートⅠ 12位
    • 第4戦(鈴鹿サーキット)  :ヒートⅡ 12位
    • 第6戦(松山オートテック)  :ヒートⅡ 10位
    • 第7戦(ルスツ高原)  :ヒートⅠ 14位   ヒートⅡ 13位
    • 第8戦(男鹿山牧場)  :ヒートⅠ  11位   ヒートⅡ 10位
    • 第9戦(加西)  :ヒートⅠ  10位
  • 1986年 - 全日本モトクロス選手権シリーズランキング 国際A級250 ccクラス 16位
  • 参戦したJapan Super Motocross(ジャパンスーパークロス):①1984年11月18日大阪市南港南埠頭特設会場②1987年11月29日神宮球場③1988年11月13日阪急西宮球場④1988年11月20日神宮球場⑤1990年11月18日神宮球場
  • 東希和レーシングの会長 中谷年宏は 1982年1月2日他界
  • 1982年 平井稔男が牽引するチームグリーンは 菅原義広、中深迫正、岡山照一の3人でスタートする
  • 1984年 チームグリーン 正式に発足
  • 1985年 カワサキオートバイ販売(株)が支援するチームグリーンのレース体制
    • 総括 - 永友節雄
    • 総監督 - 平井稔男
    • MX RACE監督 - 平井稔男
    • MX RACER - 菅原義広、中深迫正、多田洋之、調所伸一、武田晴喜、長沼朝之、花田茂樹、片山章
    • ROAD RACE監督 - 野田忠世
    • ROAD RACER - 岡正弘、斉藤昇司、日下直一、新谷永喜、多田喜代一、西田克也

マウンテンバイク (MTB) の戦歴

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  • 1993年9月26日 - MTB JAPAN GRAND PRIX 1993 EAGLE CUP IN HAKUBA ダウンヒル エキスパートの部 優勝
  • 2001年9月01日 - JCF MTB ジャパンシリーズ J1 岩手 / 安比高原 DH エリート男子 64位
  • 2001年9月29日 - JCF MTB ジャパンシリーズ J2 青森 / 平内夜越山 DH エリート男子 21位
  • 2002年9月28日 - JCF MTB ジャパンシリーズ J2 青森 / 平内夜越山 DH エリート男子 3位
  • 2003年8月23日 - JCF MTB ジャパンシリーズ J1 青森 / モヤヒルズ DH エリート男子 62位

職歴

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  • 1982年 ~ 1986年  チームグリーン在籍中はカワサキの開発テストライダー(KXシリーズの熟成に努める)
  • 1989年7月1日  ブリヂストン技術センター入社  二輪車用タイヤ実車試験担当
  • 1990年10月16日  ブリヂストンプルービンググラウンドに転勤  乗用車用タイヤ実車試験(特にオフロード車)を約20年間担当
    二輪の経験がある菅原は、路面に対して非常に敏感である。テストドライバーに求められることは、乗った感じがどうであったかのフィーリングに重点を置き、信頼のある評価ができることである。当然、同じタイヤを試験すれば、全く同じコメントが書けなければいけない。それが完全にできるのは、菅原義広しかいない。
    まさに神の域に達している。
    2003年8月27日 NHK BS23で放送された「経済最前線」では、ブリヂストンの新製品 乗用車用スタッドレスタイヤ BLIZZAK REVO 1の開発テストドライバーとして取材に応じた。