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荻野検校

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荻野 検校(おぎの けんぎょう、享保16年(1731年2月 - 享和元年6月22日1801年8月1日)は、江戸時代中期・後期の音楽家平曲地唄箏曲演奏家検校。「平曲中興の祖」。都名は知一[1]安芸国猿楽町(現在の広島市中区大手町1丁目、紙屋町二丁目付近)生まれ。

来歴

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幼時に失明。宝暦3年(1753年)に上洛し、前田流平曲を寺尾勾当に、波多野流平曲を河瀬検校に師事。明和2年(1765年検校に登官。明和8年(1771年)、尾張第9代藩主・徳川宗睦に招かれて名古屋に移住し平曲普及に貢献、伝承が途絶える危機だった平曲を救う。安永5年(1776年)平曲譜本『平家正節』を編纂、完成させ貴重な遺産を残した。名古屋においては、仲ノ町に居を構えた[1]

荻野検校はその後も名古屋に留まり、後継者の育成に努め、その流は名古屋および京都に伝えられた。名古屋では吉沢検校横井也有などが門弟として知られたが、一方京都では幕末に至り統が絶えたため、その後の平曲は名古屋が伝承の中心地になり、荻野の芸脈が守られ今日に至っている。

脚注

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参考文献・ウェブサイト

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