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荒木田久守

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荒木田 久守(あらきだ ひさもり、安永8年3月1日1779年4月17日)‐ 嘉永6年5月8日1853年6月14日))は、江戸時代後期の神職国学者歌人である。名は令睦または正任。通称は宇治求馬。号は瓊鈴舎、五十槻園。

経歴・人物

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伊勢神宮荒木田家荒木田久老の次男として生まれる[1]

度会姓を名乗り、父の後継として伊勢神宮権禰宜となった。父の没後は本居春庭に師事し、国学者としても活躍した。門人には橘守部等がいる。また、和歌を学ぶ等歌人としても活躍し『石川集』、『真菅集』に和歌を入集した。

著書に『倭姫命世紀古文解』、『万葉集鳥獣草木考』等がある。

脚注

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  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 59頁。

出典

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