荒木治丞
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基本情報 | |
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国籍 | 大韓民国 |
出身地 | 済州特別自治道 |
生年月日 | 1985年6月21日(39歳) |
身長 体重 |
173 cm 65 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 2012年 |
初出場 | KBO / 2014年7月16日 |
最終出場 | KBO / 2017年9月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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ファンモク・チスン | |
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各種表記 | |
ハングル: | 황목치승 |
漢字: | 荒木治丞 |
発音: | ファンモクチスン |
日本語読み: |
こうき ちしょう あらき はるすけ |
英語表記: | Hwangmok Chi-Seung |
荒木 治丞(ファンモク チスン、韓国語:황목치승、日本名 : あらき はるすけ[1]、1985年6月21日 - )は、大韓民国の済州特別自治道出身の元プロ野球選手(内野手)。LGツインズに所属していた。
祖父は荒木(あらき)姓の日本人。韓国人女性と結婚して済州島に移り住み、自身の姓を韓国語読みしたファンモク姓を名乗り、その名字を自身の息子、そして孫の治丞も受け継いで現在に至っている[2]。
来歴・人物
[編集]日本時代
[編集]中学校卒業後に野球留学で日本に渡り、京都韓国学園(現:京都国際高等学校)に入学するが、甲子園への出場歴はなかった。
卒業後はセガサミーに入社して硬式野球部に2008年から2011年まで4年間在籍[3][4][5][6]。セガサミーではケガが相次いで活躍できず、4シーズンで戦力外となって退部した[7]。
韓国独立チーム時代
[編集]その後韓国に戻り、プロになることを諦め兵役義務を果たそうとしたが、足首の手術歴が兵役免除の対象となり、2年間の時間ができたことで再びプロ入りへと動き出した。済州島の友人の助けを借りて練習を再開[2]。独立チームの高陽ワンダーズに入団、2シーズンプレーした。
LG時代
[編集]2014年にLGツインズと契約してプロ入りを果たした[8]。
7月に一軍初昇格を果たし、8月には初めて先発出場するなど、2014年は一軍で37試合に出場した。
その後は主に代走・守備要員として一軍通算154試合に出場、46安打(0本塁打)を記録したが、2017年限りで本人の意向により現役を引退した。
引退後
[編集]今後は日本で家族の事業を継ぐ[9]。
2019年9月30日、蚕室野球場で元LGの選手として紹介され、ロッテジャイアンツ-LGツインズ戦の試合前の始球式を務めた[10]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2014 | LG | 37 | 51 | 46 | 11 | 14 | 0 | 1 | 0 | 16 | 3 | 2 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 9 | 1 | .304 | .319 | .348 | .667 |
2015 | 24 | 74 | 71 | 13 | 19 | 3 | 1 | 0 | 24 | 8 | 2 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 10 | 2 | .268 | .284 | .338 | .622 | |
2016 | 48 | 39 | 39 | 7 | 7 | 3 | 0 | 0 | 10 | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | .180 | .180 | .256 | .436 | |
2017 | 45 | 34 | 29 | 14 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 2 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 1 | 6 | 0 | .207 | .250 | .207 | .457 | |
通算:4年 | 154 | 198 | 185 | 45 | 46 | 6 | 2 | 0 | 56 | 18 | 8 | 4 | 6 | 2 | 4 | 0 | 1 | 34 | 3 | .249 | .266 | .303 | .568 |
背番号
[編集]- 106 (2014年 - 同年途中)
- 68 (2014年途中 - 同年終了)
- 0 (2015年 - 2017年)
脚注
[編集]- ^ “평탄치 않았던 황목치승 ‘야구 인생’…“근성은 최고였다””. 東亜日報 韓国語版 2017年10月20日. 2020年12月3日閲覧。
- ^ a b “波瀾万丈のある野球選手の半生 夢に向けて日韓を渡り歩いた荒木治丞”. Sportsnavi 2017年11月28日. 2020年11月27日閲覧。
- ^ “歴代メンバー 2008年”. SEGA SAMMY BASEBALL. 2020年12月18日閲覧。
- ^ “歴代メンバー 2009年”. SEGA SAMMY BASEBALL. 2020年12月18日閲覧。
- ^ “歴代メンバー 2010年”. SEGA SAMMY BASEBALL. 2020年12月18日閲覧。
- ^ “歴代メンバー 2011年”. SEGA SAMMY BASEBALL. 2020年12月18日閲覧。
- ^ インタビュー 荒木 治丞 - ウェイバックマシン(2014年10月25日アーカイブ分) セガサミー硬式野球部HP 2014年8月27日閲覧
- ^ セガサミー野球部出身、LG ファンモク・チスン選手活躍中 - ウェイバックマシン(2014年10月9日アーカイブ分) sportsnaviplus ソウルはいつも野球愛 室井昌也 2014年8月27日閲覧
- ^ ストライク・ゾーンfacebookページ 2017年10月20日 2017年10月21日閲覧
- ^ http://isplus.live.joins.com/news/article/article.asp?total_id=23591277&cloc=
外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 KBO、Baseball-Reference (Korea)