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荒木忍国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

荒木 忍国(あらき の おしくに、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。氏は荒城、名は押国とも記される。氏姓荒木臣、のち大荒木臣。従五位下・荒木道麻呂の子。官位は従五位下・遠江介。

出自

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荒木氏(荒木臣)は、中臣氏と同祖とする天神氏族[1]大和国宇智郡の荒木神社の鎮座地(現在の奈良県五條市今井町)の地名に因むと想定される[2]

経歴

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左京の人。称徳朝天平神護3年(767年)父の道麻呂とともに、墾田100町・12500束・荘(生産物を貯蔵するを中心として周辺に園地を配した一区画)3ヶ所を西大寺に献上する。道麻呂はまもなく没したため従五位下を贈られ、忍国は无位から外従五位下に叙せられた。翌神護景雲2年(768年左兵庫助に任ぜられる。

光仁朝宝亀4年(773年)に養老5年(721年)以前の戸籍では大荒木臣となっていたところ、神亀4年(727年)以降の戸籍では「大」の字が付けられなかったとして、荒木臣から大荒木臣に改姓した。宝亀8年(777年遠江介として地方官に遷る。

桓武朝初頭の天応2年(782年氷上川継の乱が発生するとその対策のためか、主馬助に任ぜられ京官に復す。その後、内位の従五位下に叙せられ、桓武朝末の延暦23年(804年)20年以上振りに遠江介に再任されている。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 新撰姓氏録』摂津国神別
  2. ^ 佐伯[1994: 37]

参考文献

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