荒戸城
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荒戸城(荒砥城) (新潟県) | |
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荒戸城の土塁 | |
別名 | 荒砥城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 上杉景勝 |
築城年 | 天正6年(1578年) |
主な城主 | 上杉氏、後北条氏 |
廃城年 | 慶長3年(1598年) |
遺構 |
本丸跡・二の丸跡・三の丸跡 曲輪・土塁・虎口・馬出し・堀切・竪堀・横堀 上杉軍道 |
指定文化財 |
新潟県指定史跡 |
位置 | 北緯36度54分27.2秒 東経138度47分31.4秒 / 北緯36.907556度 東経138.792056度座標: 北緯36度54分27.2秒 東経138度47分31.4秒 / 北緯36.907556度 東経138.792056度 |
地図 |
荒戸城(あらとじょう)は、新潟県南魚沼郡湯沢町にあった日本の城(山城)。城跡は新潟県の史跡に指定されている[2][1]。
歴史
[編集]天正6年(1578年)5月12日、御館の乱の際、後北条氏の越後侵入を阻止するために、上杉景勝が深沢利重・登坂与衛門尉らに命じて築城させた。同年7月、後北条勢の攻撃によって荒戸城は落城する。翌天正7年(1579年)2月、景勝は荒戸城を奪還して、天正9年(1581年)2月28日、樋口与三右衛門兼重・冨里三郎左衛門らを城将に命じた。慶長3年(1598年)上杉氏の会津移封によって廃城となった。
概略
[編集]- 所在地-新潟県南魚沼郡湯沢町大字神立字袖山~大字三俣字下峠。
- 標高-789メートル
- 樋口主水助(直江兼続の叔父、湯沢が知行地で居城跡が主水公園になっており、川端康成の文学碑が立っている。)
- 主水山大岳寺(越後湯沢駅前)は、荒戸城で戦死した樋口主水助ゆかりの寺院。
アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 「文化財」湯沢町公式HP
- ^ “新潟県の文化財一覧はこちら” (PDF). 新潟県 (2021年8月10日). 2021年12月1日閲覧。