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荒戸城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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荒戸城(荒砥城)
新潟県
荒戸城の土塁
荒戸城の土塁 地図
別名 荒砥城
城郭構造 山城
築城主 上杉景勝
築城年 天正6年(1578年
主な城主 上杉氏後北条氏
廃城年 慶長3年(1598年
遺構 本丸跡・二の丸跡・三の丸跡
曲輪・土塁・虎口・馬出し・堀切・竪堀・横堀
上杉軍道
指定文化財

新潟県指定史跡
1976年(昭和51年)3月31日

[1]
位置 北緯36度54分27.2秒 東経138度47分31.4秒 / 北緯36.907556度 東経138.792056度 / 36.907556; 138.792056座標: 北緯36度54分27.2秒 東経138度47分31.4秒 / 北緯36.907556度 東経138.792056度 / 36.907556; 138.792056
地図
荒戸城の位置(新潟県内)
荒戸城
荒戸城
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荒戸城(あらとじょう)は、新潟県南魚沼郡湯沢町にあった日本の城山城)。城跡は新潟県の史跡に指定されている[2][1]

歴史

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天正6年(1578年)5月12日、御館の乱の際、後北条氏の越後侵入を阻止するために、上杉景勝深沢利重登坂与衛門尉らに命じて築城させた。同年7月、後北条勢の攻撃によって荒戸城は落城する。翌天正7年(1579年)2月、景勝は荒戸城を奪還して、天正9年(1581年)2月28日、樋口与三右衛門兼重冨里三郎左衛門らを城将に命じた。慶長3年(1598年)上杉氏の会津移封によって廃城となった。

概略

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  • 所在地-新潟県南魚沼郡湯沢町大字神立字袖山~大字三俣字下峠。
  • 標高-789メートル
  • 樋口主水助(直江兼続の叔父、湯沢が知行地で居城跡が主水公園になっており、川端康成の文学碑が立っている。)
  • 主水山大岳寺(越後湯沢駅前)は、荒戸城で戦死した樋口主水助ゆかりの寺院。

アクセス

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脚注

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  1. ^ a b 「文化財」湯沢町公式HP
  2. ^ 新潟県の文化財一覧はこちら” (PDF). 新潟県 (2021年8月10日). 2021年12月1日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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