荒川十太夫
荒川 十太夫[1](あらかわ じゅうだゆう[1]、生年没年不詳)は、伊予松山藩藩士。伊予松山藩士荒川家の初代となる[2]。
概略
[編集]元禄2年(1689)、江戸において伊予松山藩に仕官していた。身分は、徒歩目付、十二石三人扶持。
元禄16年(1703)2月4日、伊予松山藩主松平壱岐守定直の三田中屋敷(江戸の中屋敷)[3]で、赤穂義士の切腹が執り行われた。荒川十太夫は、その際、2番目の堀部安兵衛と5番目の不破数右衛門の介錯人[4]を務めている[2]。
随筆春秋代表理事の池田元が荒川十太夫から数えて10代目の子孫にあたる[1][2]。
古典芸能との関係
[編集]令和4年度大谷竹次郎賞に『赤穂義士外伝の内 荒川十太夫』が決定した。竹柴潤一の脚本である。2022年12月13日付けで歌舞伎公式ホームページ「歌舞伎 on the web」で発表された[5]。
『荒川十太夫』は、赤穂義士伝約300席のうち、義士周辺の人物を扱う「外伝」のうちの一席である。最近では、講談師の神田松鯉(人間国宝)やその弟子の神田伯山が好んで読んでいる。伯山のCD(正確には松之丞時代に収録したCD『松之丞 講談 -シブラク名演集』)を通じて『荒川十太夫』を知った歌舞伎役者の尾上松緑が講談をもとにした新作歌舞伎『赤穂義士外伝の内 荒川十太夫』を2022年10月[6]、2024年1月[7]、歌舞伎座で上演した[6][7]。
堀部安兵衛は、高田馬場の仇討でも有名な人物である。切腹の際、後ろで刀を構える荒川十太夫を振り返った安兵衛が「ご身分は」と尋ねると、十太夫は「ご心配なく」と答えた。
しかし安兵衛はじっとこちらを見つめたままである。そこで仕方なく「物頭役二百石でござる」と十太夫は告げた。
本当は、五両三人扶持の徒士で御目見得以下の軽輩あったが、そのような低い身分では、堀部家の恥になると考えた。そのときのとっさの気配りに、十太夫は藩主から褒美を授かっている[1][2]。
物語は、その堀部安兵衛の七回忌(亡くなってから6年後)、荒川十太夫が安兵衛の眠る泉岳寺(東京都港区高輪)に参った帰り道、図らずも自分の上役と会ってしまうところから始まる。
脚注
[編集]- ^ a b c d https://www.ako-minpo.jp/news/8126.html 左記は、赤穂民報(2013年05月23日)の記事「荒川十太夫の子孫が義士墓参」。ここに、荒川十太夫のことが記述されている。その荒川十太夫から数えて10代目の子孫である池田元についても記述がある。
- ^ a b c d https://kenshu.co.jp/99_blank052.html 左記は、有限会社研修設計HPの配下のページ。「堀部安兵衛の介錯人・荒川十太夫のこと」と題して、経営者の池田元が書いている。ここに、このへんのことが綴られている。
- ^ 伊予松山藩の江戸の中屋敷。現在は、駐日イタリア大使館となっている。
- ^ 切腹する者の背後に立ち刀で首を落とす役目。
- ^ https://www.kabuki.ne.jp/topics/2022/4192/ 歌舞伎 on the web 公式ホームページに当該事実が記述されている。以下はその一部抜粋。――第51回令和4年度の大谷竹次郎賞に、竹柴潤一脚本の『赤穂義士外伝の内 荒川十太夫』が決定しました。 この賞は、松竹株式会社と公益財団法人松竹大谷図書館からなる大谷竹次郎賞選考委員会により選考され、歌舞伎俳優によって上演された新作歌舞伎および歌舞伎舞踊の脚本を対象に、娯楽性に富んだ優れた歌舞伎脚本に贈られます。
- ^ a b https://www.kabuki-bito.jp/news/7725 左記は、歌舞伎公式総合サイト「歌舞伎美人」HPの1ページ。「松緑出演『荒川十太夫』10月歌舞伎座で上演決定、「神田松鯉・神田伯山 歌舞伎座特撰講談会」も開催」とのタイトルでこの件に関して、詳細が記述されている。以下はその冒頭部分。――2022年10月歌舞伎座「十月大歌舞伎」において、講談師で人間国宝の神田松鯉が口演する名作「荒川十太夫」をもとに、尾上松緑主演による新作歌舞伎の上演が発表されました。――
- ^ a b 松緑主演の新作歌舞伎、歌舞伎座で2カ月連続上演決定 ‐ 歌舞伎美人(歌舞伎公式総合サイト) https://www.kabuki-bito.jp/news/8498 その中に以下の記述がある。「このたび、歌舞伎座で、赤穂義士による討入り前夜と当日の物語である『俵星玄蕃』を12月に、そして討入りの後日譚である『荒川十太夫』を年明け1月に上演することが決定」