荒尾厚就
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 宝暦元年(1751年) |
死没 | 天明6年11月16日(1787年1月5日) |
改名 | 次郎作(幼名)→厚就 |
別名 | 志摩(通称) |
戒名 | 法名周南院 |
主君 | 池田重寛→治道 |
藩 | 鳥取藩家老 |
氏族 | 荒尾氏 |
父母 | 父:荒尾斯就 |
妻 | 正室:池田長仍の娘 |
子 | 為就 |
荒尾 厚就(あらお あつなり)は、江戸時代中期の鳥取藩家老。倉吉荒尾家7代。
生涯
[編集]宝暦元年(1751年)、鳥取藩家老、倉吉領主荒尾斯就の子として生まれる。斯就は幼い藩主池田重寛を補佐して藩政を担うも、宝暦4年(1754年)に専横を咎められ失脚し、隠居を命じられたため、わずか4歳で家督相続し、米子領主となった。
宝暦13年(1764年)1月、13歳で藩主池田重寛に初めて御目見する。明和4年(1767年)12月、志摩と改名する。明和7年(1770年)6月、御職家老(執政家老)となる。安永7年(1780年)9月、岡山藩家老池田長仍の娘と結婚する。
天明6年(1787年)11月16日死去、享年36。家督は嫡男の為就が相続した。
参考文献
[編集]- 「倉吉市史」
- 「因府年表」