荊宜道
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中華民国 湖北省 (中華民国)省 荊宜道 | |
← 1913年 - 1926年 → | |
簡体字 | 荊宜 |
繁体字 | 荊宜 |
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拼音 | Jīngyì |
カタカナ転記 | ジンイー |
国家 | 中華民国 |
省 | 湖北省 (中華民国) |
行政級別 | 道 |
政府所在地 | 江陵県 |
建置 | 1913年 |
廃止 | 1926年 |
面積 | |
- 総面積 | km² |
人口 |
荊宜道(けいぎ-どう)は中華民国北京政府により設置された湖北省の道。
沿革
[編集]1913年(民国2年)1月17日に荊宜施鶴道として設置、まもなく鄂西道と改称された。観察使は江陵県に設置され、下部に宜昌、江陵、公安、石首、監利、松滋、枝江、宜都、長陽、興山、巴東、五峰、秭帰、恩施、宣恩、建始、利川、来鳳、咸豊、鶴峰の20県を管轄した。1914年(民国3年)5月23日に観察使は道尹と改められた。1921年(民国10年)8月、荊宜道と改称、一部管轄区域に施鶴道が新設され、管轄県は宜昌、江陵、公安、石首、監利、松滋、枝江、宜都、長陽、興山、巴東、五峰、秭帰、荊門、当陽、遠安の15県とされた。1926年(民国15年)に廃止されている。
行政区画
[編集]廃止直前の下部行政区画は下記の通り。(50音順)