草野唯雄
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1915年10月21日 - 2008年)は、日本の小説家・推理作家。本名は荘野 忠雄。別名に三川 中。推理、サスペンス、恐怖小説と幅広いジャンルの作品を手がけた。
(そうの ただお、略歴
[編集]福岡県大牟田市出身。法政大学専門部中退。大学中退後、明治鉱業に勤務の傍ら創作を始める。
1961年、短編「報酬は一割」でデビュー。同作は第2回宝石賞の佳作となり「宝石増刊」に掲載される。 1962年、「交叉する線」が第1回宝石中編賞を受賞。また三川 中名義の「架空索道事件」が小説サンデー毎日推理小説賞の佳作に入選。
1967年、「失われた街」が第13回江戸川乱歩賞候補作となり、翌年「大東京午前二時」と改題して「推理界」に掲載(本作は1976年)に「見知らぬ顔の女」として改稿されている)。
1968年、「転石留まるを知らず」が第14回江戸川乱歩賞候補作となり、翌1969年『抹殺の意志』と改題し刊行。 同作は第23回日本推理作家協会賞候補となる[1]。 また同年、日本推理作家協会書記局長に就任する。
2014年に刊行されたアンソロジー『もっと厭な物語』の著者紹介で、2008年に亡くなっていたことが明かされた[2]。
著作
[編集]- 『抹殺の意志』(三一書房) 1969、のち春陽文庫、角川文庫
- 『北の廃坑』(青樹社) 1970、のち徳間文庫
- 『影の斜坑』(青樹社) 1971、のち角川文庫
- 『鳴き竜事件』(河出書房新社) 1972、のち改題『鳴き竜殺人事件』(角川文庫)
- 『瀬戸内海殺人事件』(春陽文庫 1972、のち集英社文庫、のち角川文庫
- 『天皇賞レース殺人事件』(サンケイノベルス) 1972、のち徳間文庫
- 『闇の臭跡』(青樹社) 1973、のち角川文庫
- 『明日知れぬ命』(産報ノベルス) 1973、のち集英社文庫、のち改題『俘虜偽装殺人事件』(角川文庫)
- 『爆殺予告』(サンケイノベルス) 1973、のち集英社文庫、のち角川文庫
- 『女相続人』(光文社、カッパ・ノベルス) 1974、のち角川文庫
- 『もう一人の乗客』(光文社。カッパ・ノベルス) 1975、のち文庫
- 『殺意は看護婦を抱きながら 昭和猟奇情痴事件簿』(潮出版社、ゼロ・ブックス) 1975
- 『ジス・イズ・ザ・殺人』(トクマノベルズ) 1976、のち徳間文庫
- 『甦った脳髄』(ワールドフォトプレス Wild book) 1976、のち角川文庫
- 『見知らぬ顔の女』(光文社、カッパ・ノベルス) 1976、のち角川文庫
- 『地底に蠢く』(カイガイノベルス) 1977.11、のち改題『私の中のあいつ』(角川文庫)
- 『人みな欲望を持つ』(光文社、カッパ・ノベルス) 1977.7、のち角川文庫
- 『二人の追跡者』(祥伝社、ノン・ノベル) 1977.3、のち角川文庫
- 『文豪挫折す』(光文社) 1978.4、のち角川文庫
- 『七人の軍隊』(主婦と生活社、21世紀ノベルス) 1978.10、のち角川文庫
- 『陰の告発者』(文藝春秋) 1979、のち角川文庫
- 『解明旅行』(光文社、カッパ・ノベルス) 1979.5、のち文庫
- 『悪霊の山』(トクマノベルズ) 1979.8、のち徳間文庫
- 『さらば空港』(主婦と生活社、21世紀ノベルス) 1979.11、のち角川文庫
- 『支笏湖殺人事件』(トクマノベルズ) 1980.5、のち徳間文庫
- 『火刑の女』(光文社、カッパ・ノベルス) 1980.7、のち文庫
- 『私が殺した女』(トクマノベルズ) 1980.9、のち徳間文庫
- 『山口線“貴婦人号"』(光文社、カッパ・ノベルス) 1981
- 『淫らな聖女』(トクマノベルズ) 1983、のち徳間文庫
- 『黒十字架連続殺人事件』(トクマノベルズ) 1981.8、のち徳間文庫
- 『棄てられた女』(カドカワノベルズ) 1982.7、のち角川文庫
- 『寝台特急「はやぶさ」は止まった』(トクマノベルズ) 1982.12、のち徳間文庫
- 『満月殺人旅行』(光文社、カッパ・ノベルス) 1982.10、のち改題文庫化『フルムーン殺人旅行』
- 『蔵王山荘皆殺し』(カドカワノベルズ) 1983.7、のち改題『蔵王山荘連続殺人事件』(角川文庫)
- 『陰の告発者』(フタバノベルス) 1983.12
- 『わたしが死刑執行人』(トクマノベルズ) 1983.3、のち徳間文庫
- 『街は狙われた』(光文社、カッパ・ノベルス) 1983.11、のち文庫
- 『殺意の焦点』(実業之日本社、Joy novels) 1984.11、のち角川文庫
- 『死体西へ飛ぶ』(フタバノベルス) 1984.12、のち角川文庫
- 『天使は夜、訪れる』(フタバノベルス) 1984.7、のち改題『未知の犯罪領域』(角川文庫)
- 『京都殺人風景』(トクマノベルズ) 1984.2、のち徳間文庫
- 『清里高原に死す』(トクマノベルズ) 1984.4、のち改題『追いつめられた女』(徳間文庫)
- 『喝采』(光文社文庫) 1984.9
- 『交叉する線』(角川文庫) 1984.9
- 『プロボウラー殺人事件』(光風社ノベルス) 1984.9、のち改題『罠』(角川文庫)
- 『奥能登殺人遊戯』(徳間文庫) 1984.10
- 『磐梯高原殺人事件』(フタバノベルス) 1985.10、のち双葉文庫
- 『怨霊島 伊勢志摩殺人綺譚』(トクマノベルズ) 1985.12、のち改題『伊勢志摩殺人綺譚』(徳間文庫)
- 『北リアス海岸殺人事件』(光文社、カッパ・ノベルス) 1985.2、のち文庫
- 『仁右衛門島殺人事件』(トクマノベルズ) 1985.2、のち徳間文庫
- 『京都大文字送り火殺人事件』(トクマノベルズ) 1985.6、のち徳間文庫
- 『クルーザー殺人事件』(カドカワノベルズ) 1985.5、のち角川文庫
- 『死霊鉱山』(光文社文庫) 1985.9
- 『ラスト・チャンス』(角川文庫) 1985.9
- 『越後恋歌殺人譜』(トクマノベルズ) 1986.11、のち徳間文庫
- 『博多長崎殺人行』(カドカワノベルズ) 1986.4、のち角川文庫
- 『みなごろしの寺 実録・昭和猟奇ミステリー』(フタバノベルス) 1986.4、のち双葉文庫
- 『「阿い宇え於」殺人事件』(光文社、カッパ・ノベルス) 1986.5、のち改題文庫化『アイウエオ殺人事件』
- 『伊豆半島殺人行』(光文社文庫) 1986.9
- 『消えた郵便配達人』(双葉文庫) 1987.1
- 『法廷心中』(フタバノベルス) 1987.3、のち双葉文庫
- 『殺人交響曲』(角川文庫) 1987.10
- 『観音崎灯台不連続殺人事件』(トクマノベルズ) 1988.4、のち徳間文庫
- 『塩原殺人行』(光文社文庫) 1988.9
- 『殺意の岐路』(カドカワノベルズ) 1989.1
- 『まぼろしの凶器』(徳間文庫) 1989.8
- 『伊豆密会旅行殺人事件』(トクマノベルズ) 1989.4、のち徳間文庫
- 『360時間の追跡』(光文社、カッパ・ノベルス) 1989、のち改題文庫化『見えない罠』
- 『録音テープ殺人事件 推理喫茶』(角川文庫) 1990.10
- 『電話メモ殺人事件 推理喫茶2』(角川文庫) 1991.8
- 『丹後鳴き砂殺人事件』(トクマノベルズ) 1990.5、のち徳間文庫
- 『三幕殺人事件』(光文社、カッパ・ノベルス) 1990
- 『吉野隠国殺人事件』(トクマノベルズ) 1991.9、のち徳間文庫
- 『恐山「黄金の国」殺人海峡』(トクマノベルズ) 1991.2、のち徳間文庫
- 『女葬列者』(トクマノベルズ) 1992.3
- 『鮮血海路』(トクマノベルズ) 1993.1
- 『会津 - 米沢 復讐回路』(徳間文庫) 1993.9
- 『標的にされた男』(光文社文庫) 1993.9
- 『鹿島臨海殺人悲曲』(トクマノベルズ) 1994.7
- 『南伊豆殺人行』(徳間文庫) 1995.6
- 『紀ノ国殺人迷路』(トクマノベルズ) 1995.7
- ハラハラ刑事シリーズ
- 『犬の首 ハラハラ刑事シリーズ』(祥伝社、ノン・ノベル) 1975、のち角川文庫
- 『警視泥棒 ハラハラ刑事』(祥伝社、ノン・ノベル) 1976、のち角川文庫
- 『死の舞踏 ハラハラ刑事』(祥伝社、ノン・ノベル) 1977.6、のち角川文庫
- 『ハラハラ刑事危機一髪 知床五湖殺人事件』(光文社、カッパ・ノベルス) 1987.5、のち文庫
- 『ハラハラ刑事一発逆転 核ジャックされた大東京 (光文社、カッパ・ノベルス) 1988.3、のち文庫
- 女鑑識官シリーズ
- 『女鑑識官』(光文社文庫) 1989.9
- 『毒殺鑑識官 女鑑識官・洋子シリーズ』(光文社文庫) 1990.9
- 『危うし女鑑識官』(光文社文庫) 1991.9
- 『断崖の女鑑識官』(光文社文庫) 1992.9
- 『狙われた女鑑識官』(光文社文庫) 1992.6
- 『自首願望 女鑑識官・洋子シリーズ』(光文社文庫) 1994.10
- 『死体消失 女鑑識官・洋子シリーズ』(光文社文庫) 1995.9
- 『擬装死体 女鑑識官・洋子シリーズ』(光文社文庫) 1997
共著
[編集]- 『ホームズからの挑戦状』(川辺豊三共著、学習研究社、ユアコースシリーズ) 1973
- 『ルパンからの挑戦状』(川辺豊三共著、学習研究社、ユアコースシリーズ) 1974
- 『日曜日は殺しの日』(天藤真共著、カドカワノベルズ) 1984.4
脚注
[編集]- ^ 1970年 第23回 日本推理作家協会賞 - 日本推理作家協会
- ^ Schün Ngash [@Schunag] (2014年1月29日). "@sengaiakiyuki 今回、許諾をいただくために調べたところ、2008年に亡くなられたとうかがいました。". X(旧Twitter)より2019年7月6日閲覧。