茨田弓束
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茨田 弓束(まんだ の ゆつか、生没年不詳)は、奈良時代中期の女官。名は弓束女とも記される。姓は無姓のち宿禰。位階は正五位上。
記録
[編集]聖武朝の天平17年(745年)正月、無位から外従五位下に昇叙したとあるのが、史料における初見。この時「宿禰」とあるが、後述の記述で宿禰姓を授けられたとあるので、無姓であったものと思われる[1]。
天平19年(747年)6月、一族の従八位下の茨田枚野とともに宿禰姓を授けられる[2]。
孝謙朝の天平勝宝元年(749年)10月、天皇は河内国智識寺に行幸し、弓束の宅を行宮とした[3]。その行幸の折に、弓束は正五位上を与えられた[4]。
その後の動静は不明である。
官歴
[編集]『続日本紀』による。