コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

茨木市立清溪小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
茨木市立清溪小学校
地図北緯34度53分03秒 東経135度31分18秒 / 北緯34.884111度 東経135.521694度 / 34.884111; 135.521694座標: 北緯34度53分03秒 東経135度31分18秒 / 北緯34.884111度 東経135.521694度 / 34.884111; 135.521694
過去の名称 三島郡清溪尋常小学校
三島郡清溪尋常高等小学校
三島郡清溪国民学校
清溪村立小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 茨木市
併合学校 三島郡泉原尋常小学校
三島郡佐保尋常小学校
三島郡高山尋常小学校
設立年月日 1908年4月1日
創立記念日 4月1日
創立者 三島郡清溪村
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B127210006085 ウィキデータを編集
所在地 568-0097
大阪府茨木市泉原857番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

茨木市立清溪小学校(いばらきしりつ きよたに しょうがっこう)は、大阪府茨木市にある公立小学校

茨木市北部の山間部に位置する小規模校である。かつてはへき地校に指定されていたこともあったが、へき地校指定は解除されている。また以前は茨木市立清溪中学校(1962年茨木市立北辰中学校に統合)と敷地を共有していた。

大正時代には、北摂地域の小学校では最初とされるプールを設置している。プールが設置されている小学校は、当時は日本全国でもほとんど例がなく、学校沿革誌によると同校は日本で最初にプールを設置した小学校とも記されている。

校門前には、この校地がかつては泉原城という山城(砦)の跡であることを示す、茨木市教育委員会の建てた標示がある。

沿革

[編集]

1874年に当時の島下郡泉原村・佐保村・高山村(いずれも町村制実施により三島郡清溪村)にそれぞれ設置された小学校3校を起源としている。3校が1908年に合併し、旧泉原尋常小学校敷地の現在地で開校した。高山地区については本校から距離があるため、旧高山尋常小学校敷地に分校を設置した。

清溪村は1955年に茨木市に編入合併した。その際旧清溪村のうち高山地区のみ茨木市には編入されず、豊能郡東能勢村(現在の豊能町)に分村合併した。このため高山地区の分校は、東能勢村立小学校(現在の豊能町立東能勢小学校)の分校へ移管された。

年表

[編集]
  • 1874年6月17日 - 第八大区第一小区第七番小学校(佐保尋常小学校)が、当時の佐保村に開校。
  • 1874年8月10日 - 第八大区第一小区第四番小学校(泉原尋常小学校)が、当時の泉原村に開校。
  • 1874年8月12日 - 第八大区第一小区第六番小学校(高山尋常小学校)が、当時の高山村に開校。
  • 1885年9月 - 泉原・高山の両校が合併。高山小学校は泉原小学校高山分校となる。
  • 1893年4月 - 高山小学校が再独立。
  • 1908年4月1日 - 泉原・佐保・高山の3校合併。三島郡清溪尋常小学校として開校。本校(現在地)と高山分校を設置。
  • 1913年4月10日 - 高等科を併設。三島郡清溪尋常高等小学校に改称。
  • 1925年9月28日 - プールが完成(初代、老朽化のため1943年使用停止)。
  • 1927年8月 - 校歌を制定(初代)。
  • 1941年4月1日 - 国民学校令により、三島郡清溪国民学校に改称。
  • 1947年4月1日 - 学制改革により、清溪村立小学校に改称。
  • 1955年4月3日 - 清溪村が茨木市に編入されたことに伴い、茨木市立清溪小学校に改称。高山分校を廃止(東能勢村立小学校分校へ移管)し、高山地区を校区から分離。
  • 1958年4月27日 - 創立50周年記念式典を実施。現行の校歌・校旗を制定。校歌は今中楓渓作詞。
  • 1959年4月1日 - 一級へき地校に指定される。
  • 1961年6月1日 - 学校給食開始。
  • 1975年4月1日 - 全国へき地校に指定される。
  • 1990年4月1日 - へき地校指定が解除される。

通学区域

[編集]

交通

[編集]

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]
  • 『清溪:茨木市立清溪小学校創立115周年記念誌』清溪小学校創立115周年記念事業実行委員会、1988年。

外部リンク

[編集]