コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

茨城県立上郷高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
茨城県立上郷高等学校
過去の名称 上郷外二カ村学校組合立農業実習学校
上郷農蚕学校
茨城県上郷農蚕学校
茨城県立上郷農蚕高等学校
茨城県立上郷農業高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 茨城県
校訓 勤労・協同・自治
設立年月日 1927年昭和2年)4月9日
創立記念日 4月9日
閉校年月日 2011年平成23年)3月31日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 08169J
所在地 300-2645
茨城県つくば市上郷2494番地3
北緯36度5分50.5秒 東経140度1分1.2秒 / 北緯36.097361度 東経140.017000度 / 36.097361; 140.017000
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

茨城県立上郷高等学校(いばらきけんりつかみごうこうとうがっこう)は、茨城県つくば市上郷に所在した公立高等学校

概要

[編集]

元は農業高等学校であるが、後に普通科高等学校に転換した[1]。そのため、広大な農地を有していたが、農業に関する学科の廃止後はグラウンドに生まれ変わった[1]

11月に開催されていた文化祭の名称は白翔祭であった[1]。上郷高校の名物行事としてクリスマスイルミネーションが存在した[1]。これは校舎や校地の木々に数万個ものLEDを生徒自身が設置するもので、3か月かけて計画・準備する本格的なものであった[1]

設置学科

[編集]
  • 全日制課程普通科
    • I類型(総合型) - 基礎基本を重視し、更に福祉系・情報系に分かれていた[1]
    • II類型(進学コース) - 更に文系理系に分かれていた[1]

沿革

[編集]

県立高校再編による統廃合

[編集]

「茨城県立高等学校再編整備の後期実施計画」により、上郷高校は2008年(平成20年)4月入学生を最後に募集停止となり、2009年(平成21年)4月に常総市の茨城県立石下高等学校と合併して全日制単位制普通科の新校・茨城県立石下紫峰高等学校へ移行し、2011年(平成23年)3月31日に閉校した。なお、石下紫峰高校は旧石下高校の校舎を使用していたが、上郷高校生として入学した生徒はそのまま卒業まで上郷高校生として旧上郷高校の校舎で学んでいた。

閉校後の2011年(平成23年)4月7日より、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)で校舎・体育館が立ち入り禁止となった常総市立石下西中学校の仮校舎として利用された[8]

制服

[編集]

男女とも夏服はワイシャツポロシャツグレースラックス[1]。冬服はブレザーと白ワイシャツが男女共通、男子は黄紺色のネクタイとグレースラックス、女子は黄紺色のリボンと紺系タータンチェックスカートであった[1]

部活動

[編集]

農業高等学校時代には、農業クラブがあり、研究発表や測量技術の技術競技において全国大会で活躍していた[7]。以下に閉校直前まで存在した部活動を示す[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k 茨城県立上郷高等学校"茨城県ハイスクールガイド 高校案内/茨城県立上郷高等学校"(2011年7月16日閲覧。)
  2. ^ a b c d e f 茨城県教育会(1960):314ページ
  3. ^ a b c d 豊里町史編纂委員会 編(1985):191ページ
  4. ^ a b c d e 豊里町史編纂委員会 編(1985):192ページ
  5. ^ a b 豊里町史編纂委員会 編(1985):205ページ
  6. ^ a b c d e f g h i j k 茨城県教育会(1960):315ページ
  7. ^ a b c 茨城新聞社 編(1981):268ページ
  8. ^ 「さまざまな苦難、乗り切ろう 常総・石下西中 学校被災、公共施設で入学式」朝日新聞2011年4月7日付朝刊、茨城版24ページ

参考文献

[編集]
  • 茨城県教育会『茨城縣教育史 下巻』茨城県教育会、昭和35年1月1日、992pp.
  • 茨城新聞社 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年10月8日、1099pp.
  • 豊里町史編纂委員会 編『豊里の歴史』豊里町、昭和60年3月31日、248pp.

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]