茂住修身
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もずみ おさみ 茂住 修身 | |
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生誕 |
1956年(67 - 68歳) 日本 岐阜県 |
別名 | 茂住 菁邨 |
出身校 | 大東文化大学経済学部 |
職業 | 書家、辞令専門職 |
雇用者 | 内閣府 |
著名な実績 | 元号「令和」揮毫 |
影響を受けたもの | 青山杉雨 |
任期 | 1980年 - 2021年 |
公式サイト | https://mozumi-seison.com/ |
茂住 修身(もずみ おさみ、1956年〈昭和31年〉[1] - )は、日本の書家・内閣府職員。号は菁邨(せいそん)[2]。
生い立ち
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岐阜県吉城郡古川町(現・飛騨市古川町)にて生まれ育つ[1][2]。1974年(昭和49年)、岐阜県立斐太高等学校卒業[1][2]。1980年(昭和55年)、大東文化大学経済学部経済学科卒業[1][3]。
官界
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1980年(昭和55年)4月、総理府(現、内閣府)に入府、2005年(平成17年)内閣府大臣官房人事課辞令専門官となる[1]。これまでに国民栄誉賞の賞状や内閣総理大臣表彰の揮毫(手書きの筆文字の指導)のほか辞令などを担当し[2][3]、2016年(平成28年)3月に定年退職[4]。同職として再任用されている[1][2][4]。
民主党政権時代には復興庁や国家戦略室の看板[5]、自民党政権では一億総活躍推進室の看板[6]の文字を担当した[3]。また、飛騨市美術館・飛騨の山樵館の看板や[7]、JR飛騨古川駅前の看板の揮毫も担当している[1][8]。
2019年5月1日の、「令和」への改元に伴う、2019年(平成31年)4月1日の新元号発表に際しては、首相官邸で当時の内閣官房長官菅義偉が挙げた「令和」の揮毫も担当した[2][3][4][9]。1989年(昭和64年)に発表された昭和に代わる元号「平成」の文字を揮毫した河東純一は同じ大東文化大学の先輩にあたり、内閣府の上司でもあった[10]。茂住、河東両者とも書家の青山杉雨を師と仰いだ[10]。
2021年3月、退官。退官に際して3月30日には「令和」を発表した内閣総理大臣菅義偉と面会した[11]。
作品
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飛騨古川駅前の看板「飛騨古川」
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “祝「令和」記念散策マップ” (PDF) (日本語). 飛騨市観光課. 飛騨市 (2019年4月3日). 2019年4月10日閲覧。
- ^ a b c d e f “「令和」揮毫は飛騨出身 内閣府職員・茂住修身さん” (日本語). 中日新聞 (中日新聞社). (2019年4月2日). オリジナルの2019年4月7日時点におけるアーカイブ。 2019年5月18日閲覧。
- ^ a b c d “新元号「令和」を本学卒業生の茂住修身さんが揮毫” (日本語). ニュース お知らせ. 大東文化大学 (2019年4月4日). 2019年4月8日閲覧。
- ^ a b c “新元号筆者の地元岐阜沸く 内閣府の茂住氏” (日本語). 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2019年4月2日) 2019年4月8日閲覧。
- ^ “菅直人首相の歩み 写真特集:時事ドットコム” (日本語). 時事通信社. (2009年9月18日) 2019年4月3日閲覧。
- ^ “「1億総活躍推進室」発足 GDP600兆円など目標に” (日本語). テレ朝NEWS (テレビ朝日). (2015年10月15日) 2019年4月8日閲覧。
- ^ “まちの話題いろいろ” (PDF) (日本語). 広報ひだ2017年7月. 飛騨市. p. 22 (2017年7月). 2019年4月10日閲覧。
- ^ “令和の書家の作品 散策用地図に” (日本語). NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2019年4月9日). オリジナルの2019年4月10日時点におけるアーカイブ。 2019年4月21日閲覧。
- ^ “墨書「令和」は茂住氏の筆 内閣府の辞令専門職” (日本語). 共同通信社. (2019年4月1日) 2019年4月8日閲覧。
- ^ a b “「令和」書いたのは書家・茂住修身氏 「平成」書いた先輩からバトンタッチ” (日本語). 夕刊フジ (産業経済新聞社). (2019年4月3日) 2019年4月8日閲覧。
- ^ “首相動静(2021年3月)- 3月30日(火)”. 時事通信社. (2021年3月30日) 2021年11月1日閲覧。